人は変われる、なりたい自分になれる?

などというテーマのアメリカの映画、企業のCM、起業家やコンサルの発言に苛つく。youtubeまとめサイトなどの広告でよく出てくるせいで無意識に脳に刷り込まれるこの言葉を見聞きするたびにそんなわけがないだろうと思う。

 

変わりたかったあの頃、みじめでつらかった過去の自分、

顔や貧乏などの外的要因ならばいくらでも変えられる、なりたい自分になれるとは思うが、本質的な内面の考え方や性格は死ぬまでついて回って変えられない。

例えば臆病な自分を変えたくてパーソナルジムに通いつめ、ムキムキの体を手に入れても、臆病な性格はそのままだ。その自慢の体と、それに伴う自信のおかげで臆病さが発現する状況が極端に少なくなるだけで、感受性はそのままだ。

 

その辺のことを言っているんだが、たぶんこれは「彼ら」にとってあまり意味ない事なんだろうなとも思う。変われたらそれでいいじゃん、自分の可能性が広がる。自分の人生もっと自由に生きていける。それは非常に素晴らしくて良いことだと俺も思う。

それに「変わる」という言葉の中にその辺の意味も含まれているのかもしれない。

ただ、「人は変われる」というテーマは言い切り型すぎて、過去の自分との釣り合いをとれるとかいうニュアンスをおざなりにしすぎている。

 

みじめでつらかった学生時代、都会へ出て理解者もできて私は変われた。でも帰省した時、おまえの地元につらかったころのおまえは残っているぞ。それを受け入れて、許して、また同じ状況が来た時に対応できるくらい経験値や人間力も備わってないと、本当に変わったとは言わないんじゃないのか?

あのころの未熟だった私に出会ったときに、そのつらさを笑い飛ばして「こうすればいいんだよ」って教えてあげられるのか?

 

と思うわけで、その安易な発言と、それをいい話風に受け取って人に勧めてくる「彼ら」と会うたび苛々するって話。