インプットの量に比して需要が多すぎる。

このままでは仕事に生活が埋もれていく。

前と違うのは、差し迫った切迫感のないためか、ズルズルだらだらと気づいたら埋もれていた感じ。

LOも思うように書けないし、休んでも休んでも休みたいし、(遊びたいし)どうすれば。

こんな時流だし、思い切って遊ぶか。

 

さよなら絶望先生のアニメは、壮大な演出と作画の実験場だったことに今更ながら気付く。

作業途中に流し見していても、いつの間にかのめり込んでいくほど魅力的。

京アニを見た時の感覚と似ている。基礎的な作り方のルーチンを繰り返していると(繰り返せる環境があると)、基礎をスッ飛ばした実験的なことがやりたくなる、んだろうなあという感覚。この手で来るか、今回はこの手で、と刺激的で退屈しない。

 

コゼットの肖像を早く見て、いわゆるシャフト演出、新房演出が確立するまでのマッピングをつくりたい。

 

 

iut理論について初心者向けに解説した

宇宙と宇宙をつなぐ数学 が読みたい。紙の方がアマゾンで値上がりしてるのでKindleで買うか?

 

 仕事の話になると途端に口がよく回る。

段取りを決めて、話を通して、報告して、必要以上にアドバイスをせずに、十分な時間をとってやらせてみる。

しかしながら 昨日カットを出し切ったので今日は、疲れてしまって腑抜けになっている。自分の仕事は進まないままだ。世間話になると途端に、口が重くなり、うまく回らなくなる。感情が湧いてこないのだ。

感情が湧いてこないということは、欲望が無いということだ。1月からずっと、欲望や感情をフル回転させて頑張ってきたので、疲れてしまったのだ。

欲望を保ちつづけることは自分にとっては疲れることだ。しかしこれは断じて、初期衝動が弱くなったりアニメの才能が少ないという事では無い!日常的なものでは、人よりも少ないレベルで回ってる自分の世界の欲を、2倍頑張って人並みくらいに上げてみた結果だ。アニメの欲は別である。

今日は休んで、明日からまた頑張ろう。

 

大体同じ感じ

G.A.Wの管理人の新しいブログが、魚拓が貼られて全部読めるようになっていたので懐かしい気分で読んだ。何も楽しくないクソみたいな高校生の頃はこの人のブログを読むことで救われていた気がする。ストレスが重なりまくって、嫌な思い出ばかりだったからだろうか、3年間を過ごした頃の記憶というものがついぞない。この人の感じ方考え方や、コンビニ店長としての有能さと、今の自分の境遇はなんとなく似て来ているような気がする。当時10代だった自分も予感していたから読んでいたのだろうか、自分に似てるって。

 

久米田康治先生と神谷浩史かくしごと対談という動画が上がってて、人生で初めて久米田康治の顔を見る。吉成曜の時も感じた感覚「実在していたんだ!」という驚き。漫画を書くことで、ネガティブな感情の救いになればいい、こうしてメディアにも出られたし、と過ぎたことを思う。

 

星明かりグラフィクスという漫画で、吉持さんというコミュ障の天才がいるわけだけども、インターン先で柄にもなくいきり立つシーンを思い出す。

性格が人と交わるのに適していなくても、臆病でも、曲げたくない部分があるから仕事をやってるんだろう?

その取っ掛かりをベースにして、人と交わっていけばいいんだとおもち。

はあ〜あ

布団の中に入ってyoutube見てる時が一番幸せだなあ〜

 

これも刺激への耐性が弱いせいか、早朝まで起きて過敏になった心にストレス耐性はなく、

楽しい記事と楽しい動画だけを見て4時間遊び床につく。

 

それでなくとも今日は、仕事は無事に(?)終わったし、嬉しいこともいくつかあって、

 

3億年ぶりに安らかに眠れる気がする。

 

 

これをけいぞくするために、また明日、1時に起きて、考えよう。

コバルトブルー

○と話して帰った。とても楽しくて、こういうとき楽しんでたのは自分だけだったんじゃないかと思って、結構ブルーになりながら帰って、この感情と感じ方はなんなんだろうなと思った。

 

だから、他人が笑っているとホッとする、自分が楽しませてると一目瞭然でわかるとこの空間に所属している意味が生まれると思う。けど、本当の友人関係ってそういうんじゃねーんだろうと思う。

 

帰ってオードリーの動画を見てたら3時間程寝てしまって、起きて真夜中に○○さんの動きの模写をしながら

数とってもクオリティ落としちゃ意味ねーじゃんと気づく。それと、○○さんみてーな動きと絵を描けるのは、地道な動きを自分なりに一回書いてみた経験の後でしかかけないとも気づく。

 

 

クオリティ落としちゃ意味ねーじゃんの気づきは自分にとって衝撃的で、明日からも気合入れてかからなければやられると思う。

後者の気づきはなんか、こんな風に書けないと何かに囚われてしまっていたところから抜け出せた気がして、

明日からも気合入れて頑張ろうと思った。

 

ちょっと褒められたら途端にやる気が出る

ちょっと無関心にされたら途端にやる気が消える

いい気なもんだ。

 

 

興味の対象が他へ移って、以前かけていたものがかけなくなってクソみたいな上がりにしてしまうことがよくある。(チューニングがズレる)

○○さんの模写をするとかして、新しいものを取り入れるのは、

それなりに時間があるときの方が良いのかなとか思う。

継続すること

●●●●さんというアニメータの人をマイブームとして取り入れている。何とかあんな風な荒っぽい画面にしたいものである。

 

やはり人となりを見て、性格が画面に出るんじゃなかろうかと思い なかなか自分としては、活動的に人と接する毎日。このまま続けていければ良いなと思い、このまま精神が死なず、頑張りを継続できて、それが普通になっていけば良いと願うばかり。

 

1月は◯◯をやって、とても濃密で有意義な時間を過ごせた、⬜︎⬜︎で気分が滅入っていたのが、仕事をすることで上書きされ快方に向かっている気がする。

 

家に帰ってからも絵を描く日々、寝るのは7時間程で、これを維持するのが難しい。

 

刺激があっても、軽くいなせる精神状態。

不寛容な隣人

家のベランダでタバコを吸ってる時に、3軒隣の部屋のベランダに洗濯物が干してあるのを見つける。

風向きはもろ、そちらの部屋の方へ行っていて、これはやばいんじゃないかと思って座って徐に座る。

 

もしその後すぐに、その部屋の人がクレームをつけに僕の部屋を訪れたとして、自分は丁寧に謝り、洗濯物の心配をするだろう。これからは部屋の換気扇の下で吸うことを約束して、穏便に済ませようとするだろう。

けれど、これが普段の、仕事が終わった後の、誰ともあまり喋りたくない時だったとしたら、

なんか心がうまく動かずに、冷めた、けだるい対応をとるんだろうなと思った。そしてその瞬間のの3分ほどしか、僕とその人との絡みはないわけだから、その時の印象が隣人の印象として決定づけられるんだろうな。

 

そう考えて分かったことは、「うちの近くに厄介な人が住んでてさぁ〜」と、結論づけるのは容易いが、

その人の印象も、その人の一面しか知らずにつけたことになる。しかし状況的にその瞬間しか、その人のことを知るチャンスはない。

ということを気をつけようと思ったが、ネットの中ではこういうことが日常的に起こっていて、

結局あって話さないと何もわからないんだなあと思った次第。