精神的にキテルグマ

ポケモンソードシールドの実況動画なんてものを見ていて、泣いてしまった。

実況の人がヤベーなんか泣きそうなどとおっしゃっていたのだが、それもその通りだと思った。なんだか、けいおん2期目のOPで、ぐるぐる回るシーンを見ていて泣き出したのと同じ、愛していたものが皆に受け入れられて、より大きなムーブメントになって帰ってくる現象が、まさにそれらの成長を見ているようで泣けてくるのだ。泣き出すメッソンや美麗なグラフィックでうごめく草むら、3dになっていささか単調になりそうなジム戦に設けられたミニゲーム、愛くるしいキャラクターの数々、とはいえ1作目から変わらないポケモンアイデンティティも残しつつ。昔あったポケモンを踏襲つつ、現代における再解釈をヅバーンと提示されてるようで泣けてきました。

しかしそれは、精神的にきているのかもしれない

 

ね。

 

また一つ年齢を重ねて、自分は原画を始める年齢が遅かったんだとの自覚が芽生えてくる。原画2年目、いうて1年目は半分二原。だから実質は1年目くらいだよ、などといって自分をごまかすが、案外他の人たちもそうなのかもしれない。

 

まあ、早い人なんか18とかから始めてるし、遅れたって意識を持ってた方がちょうど良いのかもしれない、なんて、遅れた分を取り戻そうと必死で頑張るが、そうするとまた日々の生活が目減りしていく、後輩たちとも喋らなくなる。なんだか全てを捨て去って、絵を描くことに集中していいのかと言う(ふざけた)疑問。

基本時には「いい」に決まっているのだが、俺はそうするとバランスが取りにくくなるんだよ。

本当に集中しなきゃうまく書けないような原画をやってる時に、話しかけられてそっけなく対応してしまったり、それであああの人はそう言う人なんだと思われて、あまり話しかけられなくなっていく。興味を持たれなくなっていく。自分が相手にそうしてるように。

それがすごく悲しくなる。

俺が他人からの愛情を欲しがって変な顔されるのは、日常的に補給ができてないからだ。

 

だけど。

自分が 他人への興味がないのは、本当に仕事をしたいだけだからなんだろうか?

と言われると、多分違う。

それは俺が他の人に比べ欠けていると思っている所。(勝手に)劣等感を感じてしまっている所。うまく振る舞えない自分を恥じて、追い込んで自滅してしまう

他人に、うまく心が開けないという問題。

 

 

4、5人くらいの友達同士で、家とか、学校の廊下とか食堂とかでで溜まって喋るやつ、あれが楽しかったことが一度もない。あれの何が楽しいのだろう?

本当に、一人で盛り下がって、勝手に孤立を深めて行って、怪訝な顔をされた覚えしかない。

まあ、心がうまく開けないから、言葉を介した心の交流ができないんだろうな。

そういう場所では緊張して、心を閉じてしまっているから。

心を閉じれば、もうコミュニケーションは成り立たない。逆に心を開いて、興味が相手に向いてさえいれば、言葉が足りなくとも、会話が成り立たなくても、コミュニケーションは成り立つ。

こんな簡単なことだったのだ。高校生の自分に教えてやりたかった。そうすれば、他人への興味を阻害している「原因」が、自分のアイデンティティだとわかるから。

 

  

 先日、ある人から、出演する舞台の公演に誘われた。そんな公演にいくのは初めてだったし、楽しみで、服や靴を買ったり、それなりに準備をして行ったわけだ。

けれど、最後のキャストとの面会の時間、狭い廊下に人が多すぎて引いてしまって、誘ってくれた人に会えなかった。出口の端で出てくるのを待っていると、面会時間が終了して、そのまますごすごと帰ってくるなんてことがあった。

その一件は、とてつもなく疲れた。

 舞台は素晴らしかった。これは確かにそうだ。アニメーターなんてやってるし、ダンスシーンの作画もやったことがあるから、想像していた以上に人の体は滑らかでよく動くことに感動した。細かくチャプターが分かれていたのだが、その一つ一つが、衣装や舞台装置、世界観から異なる種類のダンスで、こんなにたくさんの種類があるのかと驚いた。

しかし、最後の一件で、それらの感動を帳消しにするほど疲れてしまったのだ。

 

その一件があってから、なぜ俺はそういう場所では心が動かないんだろうと考えるようになってしまう。それは以前から心当たりがある。タイトルの打ち上げ、忘年会、ライブの終わった直後。皆が皆、笑顔で、楽しく振る舞えるのは当たり前って顔をしている。俺は違う。かつてそういう場所で孤立を味わった経験が、楽しさへ向かわせるのを阻害して、さらに孤立を深めさせてしまう。

 

あそこで溜まってた人たちは、皆キラキラしすぎていた。眩しかった。眩しすぎた。

皆勢い込んで、自分の感想を伝え合っていた。俺は、ああいう場所で、あそこまで気持ちを持っていくのは多分不可能だと思った。

だから満員電車のような溜まりを伏し目がちに抜けて行った。出口で待っていたのは、せめてもの抵抗だった。本当はああいう場所、すぐにでも逃げ出したかった。

 

 

そういう場所で、うまく振る舞えるようになれたらいいなと思う。