不干渉
なんだかその人に心を許してしまうと、あまり喋らなくなるようだ。ここは喋ったほうがいい場面だ、というのは分かるのだが、なんだかもともと無い感情を無理やり起こしてなってしまったいるようで、無理して喋っているようで、気持ちが冷めてしまう。しかし交流を止めたことで場が冷えて行くのも観測できる。それによってなんだか無愛想な、ワタシアナタト、こみゅにけゐしょんヲトリタクナイデスヨ〜って印象を与えてるみたいで、心苦しい。
えーっと…
だああ、もうやめやめ〜!
やめやめぇ〜い
そう、最近気がついたんだよ
こんなに人間関係が煩わしいと思うのは、フツーにプライベートの時間まで仕事してヘトヘトになってるだけのことだから。
土曜は半休、日曜は休んで、映画でも見たり、バーベキューでもしたり、誰かが泊まりに来たりしていれば、そ〜んなしんどいこともあるまいよ。
頭の中にいるとまだまだどうも自家中毒になりがちだから、(半分)客観的なこのブログ上の文章くらい、ユーモアと皮肉で満たしたいね。
まあアニメーターとかSEですら、ツイッターで不条理さを可視化されて働き方を選択できるようにはなったんだから、
でもその上でアホほど働きづくめになることを選択することは、また別の個人的な問題。
セックスをしたり、運動したりすると気がつくんだけど、コミュニケーションてものっすご単純なものなんだってことよ。
くだらん、本当にくだらん。
この時間は無駄じゃ無いが
この時間の余波に浸って、足を前に踏み出せなくなる時間はまじでくだらんよ。