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ベニスに死す

 

7月10日、日曜日。午後の2時ごろ目覚める。

友人から、今週初めの頃に語っていた週末の予定通り、今日は秋葉原へ行くのかと問うメールが入っているのを枕元で確認して、僕は今日の休日の使い方に失敗したのだという諦念を甘んじて受ける。

何度か寝返りをして、起き上がり、シャワーを浴びた。

久方ぶりに風呂の掃除をして、フローリングの床も掃除機をかける。

溜まっていた洗濯物を片付け、散乱している同人誌も、掃除機が通るので棚に収める。

机の上は比較的きれいだ。思いついた時にすぐに絵が描けるように、最近は意識的にあまり散らかしたままにしないようにしている。昨日の早朝、仕事から帰ってきてDMM.comを徘徊していたPCがそのままの形で残っており、やれやれといった体で首を振りながらすみやかに削除した。

 

さあ、今日は秋葉原に行かない。

 

部屋を出て、家から歩いて10分ほどの高級レストラント!へ赴きリイズナブルなお値段のかき揚げ丼を食べてから帰る。期待された任務を完了し、満足げに動作を停止していた洗濯機を開けて、洗濯物をベランダへ干す。

それから近くのニトリへ行って、前から必要だ必要だと思っていたキッチンペーパー立てと、アイロンと、良いなと思った98円のマグカップを買って

帰ろうと歩く道すがら、今日のこれからの予定を頭の中で立て始める。

まあ、新宿へ映画に行って、○○カフェで本を読んで、家で絵を描く。その順序を、いかに能動性を保ったままシームレスに組み替えるかという、休日の過ごし方なんて至極単純な事柄なのだ。基本的には。

 

デッドプールと、帰ってきたヒトラーと、かの名作mission8ミニッツのダンカン・ジョーンズ新作のウォークラフト

貞子VS伽倻子も見たいな、謎の評判の良さみたいだし。インデペンデンスデイ・リサージェンスは、一人で行っても面白くなさそうだし見ねーよ。

 

ベニスに死す、を早く読みたい。この狂気的なまでの(地に足のついた)異文化とか異世界的なもののへの希求は何に端を発しているんだろう?

ライトノベルも読みたいなぁ、狼と香辛料新刊出るみたいだし、

古典小説とライトノベルって、なんか同じ方向向いてると思えるのは何故だろう?

なんて考えてある種破壊的な小説も衝動的に買ってしまう。

海猫沢めろんの「左巻キ式ラストリゾート」は名作で最高だった。

し、こないだも書店で品田遊の「止まりだしたら走らない」という本も買わなければならないという衝動に駆られて買ってしまった。

最果タヒ「渦森今日子は宇宙に期待しない。」も、買ってから2ヶ月くらいずっと置いてあるけど、いつ読むんだろう?

(でも最近なんかよくあるさ、ライト文芸界隈のあのどっちつかずな感じなんなの?)

元々は舞城王太郎から俺の中のこの回路は始まっているんだろうけれど、最近は舞城氏

メジャーになりすぎて権威側に移行しているように思わない?

 

テーマが破壊でなく再構築に向かって行っていると思わない?

 

何て考えていると、気分が急激に下がってきて、世界に期待を持てなくなってしまう。

 

糖分が足りない、ファミリーマートへ寄って、エクレアとアイスを購入する。別にエクレアなんて食べたくない。ただ効率的に糖分のみを補給するために、できるだけローコストで甘ったるいものを摂取したかっただけだ。

 

隣の保存樹林兼公園でエクレアをひとつ、アイスを二本食べて、ますます期待が持てなくなった。

選挙広報の声が聞こえる。

 

本日の投票時間は、午前7時から午後8時までです。

 

あ、せめて、

せめて選挙へ行こう。

 

帰ってタバコをふかしながらツイッターなんて見てると、選挙で合法的に小学校に入れるだの何だの鬱陶しさを加速させるようなつぶやきが目に入ってきて暗澹とした気分になる。

 

俺の地域は中学校だ。

 

投票を終えて図書館へ行って本を返して、新宿へ行ってルノアールに入ってコーヒーなんてすすりながら、俺はそこのトイレの個室でとうとう頭を抱え込んでしまいます。

 

隣で合コンやってんじゃねぇよ・・・

トヨタとか絶対就職したくないし・・・・・

死ぬ・・・もしそんなとこ行ったら・・・・

 

あの女性陣の値踏みするような目、発する言葉の端々に周到に罠を仕掛けて探りを入れていく堂々とした振る舞い。

 

それを看過出来なかった。それはそれ、と考えられない、理性と本能の対立。

それは何故か、と考えて、昼間に考えたことと結びつく。

 

同性ではなく、異性という存在。

異性はどうして自我に対し深刻に影響を及ぼしうるのだろう?

 

一つ考えられるのは、生物学的な差異による、決定的なまでに異質な他者であるということ。

 

しかしそれだけでは説明がつかない。

何故僕らは羽の生えた美少女や、白馬に乗った王子様を夢想して、異性的なものを妙に神格化してしまうんだろう。

 

ひとつに、(碇ユイに救い上げられた碇ゲンドウのように)

異性には何か自己肯定感を加速させてくれるブーストのような性質があるが、それは単なる周囲の人たちからの羨望の目線による自己肥大感覚なんじゃないのか?

違う。恋をすると誰もが詩人になるっていうだろう?A10神経が活発になるって本能なんだよ。恋愛とは得てしてそういうものだ。

 

ああそうか、それが恋愛の本質なのか。本能なんだったら仕方ないね。同性同士じゃまかないきれない。現実の不確実性や身体性による不純物限界を取り払ったより純度の高いそこへの欲望がさっき述べた神格化されたイメージなんだろう。

腐女子が男性同士の、俺たちが少女同士のセックスを楽しめるのもそこの回路を使っているからであって・・・・

 

先ほどの隣の席を満たしていた、笑い声が頭の長で反響する。


そしてこの、鳴り止まない感覚を、何と表現すべきか?

憂鬱、よりも激しくて、苦痛、というほど身体的でもなくて、倦怠感、では甘すぎて、

モチベーションだだ下がり、は単に現象のことを指してるに過ぎない。

モチベーションがだだ下がっている原因となるこの感覚を、言い表してはいない。

 

 

???

 

??

 

ああ〜〜〜〜〜〜〜・・・

う”〜〜〜〜〜〜〜〜????

 

無力感!社会に対する無力感、現実に対する影響の及ぼせなさ。

それってこんなに激しいのか!ナルホド〜〜

 

よし、今日は追いつかれずに済んだぞ。

 

いろいろ考えたけれどこの獣性、破壊的な衝動に対する一番の特効薬は、色々なことがうまくいきそうだって予感だ。未来の展望が開かれているという期待感だ。

 

 

土曜日、色々なことを話した。与えられた恐怖によって、瞬間的にではあるが皆が同じ方向を向くことができた、中国が日本にやっていることと同じだ。

これは私の中に様々な影響を及ぼしました。

ひとつ、これまでより多くの人を「意識」することで、守らなければならない規範的意識が大幅に増えました。これはいままで孤独と絶望の中で過ごしてきた私にとって革命的なことです。やはり現実感というのは強大ですね。意志やこうしよう!って考えだけでは決して届かない、本能の深いところが反応する。

なかなかに興味深い現象です。

 

ふたつめ、その結果、自己抑制力がハンパなく上がって創作が比較的容易になりました。

 これはあのヒキニート時代に渇望していた状態ですが、いとも簡単に手に入りました。

やり方わかっているだけではダメなのです。やった結果を引き受ける、その引き受けた責任を感じる時に、現実感の強大さを感じ取る。次にはそれが血肉になる。経験とかいうものです。これがこんなに凄いとは。

 

みっつめ、なにより重要なのが、これが上述した無力感に抵抗する革命的な手段だということです。

 

 

ふっふっふ。

 

 

おいお前!ブッ殺してやるからな!

 

 

恐怖して待ってろよ、シンプルに死ね!

 

 

おしまい。