どいつもこいつも

深夜会社に残って作業しがてらに、また一人友人の訃報を聞く。ストンと落ちそうな心を必死で支え、曖昧に笑って励まして、湿っぽい風にならないようにその場をやり過ごし、作業に戻って一人で落ち込む。

効率ばかりを追い求め、生活を犠牲にして、あまつさえ隣人の無力感、疎外感をを誘うようなこのシステムを呪い。なんとか打開策はないかと必死で考える。

それが自分の感情だけをどうにかする類のものではなく、あくまで他人と分かち合える感覚で、この不幸をどうにかしなければと頭を巡らせる。

 

個々人の能力に依るものなのでは?と疑問が一瞬頭を擡げるが、そういう人も、いろんな人ひっくるめて、抱えて生きていけるのが良い集団なんだ、と、後輩に語ったことを思い出す。

 

今日、後輩を教えていて、その人に共感できなくなった。

「ノルマを達成(爆笑」しようとする責任感と焦りが、彼女への共感意識を容易に拒む。

ゆっくり、一つ一つ覚えてけば良いじゃん、と、思っていたはずなのになあ。

 

生活を壊すほどの仕事を憎む。それを自己責任で片付ける、達成できた勝ち組連中の物言いにも吐き気がする。

そうして自分はそうならないように気をつけていたはずなのに、いつの間にかそんな狂った奴らの仲間入り。

 

これは自分の問題で、彼女たちに非はない。

いや、これまでのやり方では、彼女たちにこそ非があった。向いてない、の一言で、で片付けられるものだった。しかしだ、

そのやり方でうまくいかないのだから、別のやり方を試して見たって良いんじゃないか?

だって、もともとそう教えるって聞いてたし。

 

死ね、死ね、死ね、

徹夜とかは自己管理のペースができるようになってからだ。もしくは体調良好に保てるだけの、モチベーションがあってからだ。それ以外の不当な拘束は、生命力を脅かす、害悪以上のなんでもない。

昔はこうだったねでフタをされて殺される、そんな単純バカの話ではない

 

死ね死ね死ね、ほんと死ね。本気でしね、

ぶっ殺すぞ、まじで。

 

ぶっ殺されないようによ、

まともな人間いないのか?

 

電車でGO❗️

ニヤニヤしながら○○さんに、「仕上げお願いできないっスか〜」なんて

言ってる自分を想像して、そうだこんな不敵な感じでやらねばと思う。 

でも実際、再動仕なんていうほど重症じゃなく2.3枚割直しの部分修で対応できそうであり、また力の入れどきがわからなくなる。

やばそうな状況はテンションで乗り切るしかないのだが、状況がコロコロ変わるのでどこに力を入れればいいのかわからなくなるのである。

 

なんだその選評とか思ったよ。まじで絵を見る力ねーなとかもさ。

なんかいいもん作ってんのかな俺らは。

先行世代の、生命力を下げるしか効果のないdisりやツッコミは、まじで害悪でしかないのな。

それをなあなあにそういうもんだよねで済ませるには俺の能力ではキャパオーバーしてますから、そこだけはマジで反抗させて「いただきます」から

 

「まあ、そういうもんだよね」

「それもわかるんだけどさあ」等々禁句な。分かるよないい加減にさあ。

俯瞰的に見て、そういう立場を取ったほうがいい場合と、明らかに取るべきではない場合。

 

状況が悪いのはまあ別にいい、それは誰にも悪くない。

問題は、正論を振りかざして箸にも棒にもかからない、見識外れのマイナスの呪いを吐く彼ら。

そう、おまえだよ、

分かるだろいい加減?

 

正論だけが正しいってわけじゃないんだよ。

 

 

 

なぜ

社会を回すことよりも、自分の楽しむことを優先させようと考えているのに、だんだん不安や憂鬱がたまって行き、生活がすっぽり抜け落ちたようになるのだろう?

あれだけ大切に考えてた隣人とのコミュニケイションなんてさらさらやる気にならず、雑な生き方を推進してしまう始末。

土曜日、会社へ行くか迷って結局行って、終電まで絵を描いて帰った。

 

パーフェクトブルーを見て気持ち悪さに悶える。演出も巧い、作画も巧いが題材がキモい。しかし最後はハッピーエンド、なんか今敏的には珍しい感じ。脚本ありきの企画だったからだろうなと思う。

大女優を夢見るも来る仕事来る仕事ポルノまがいの端役ばかりで未来を見失いかけているNYの新人女優あたりがなにかの間違いでこの映画を借りて見て、救われたりするんだろうかなどと妄想する。

濱洲英喜さんインタビューで結構歳いってそうで、この頃からベテランなのかと驚く。

この頃って言っても97年なんだよな、と、20年前はセルでアニメが作られていたことに今更ながら驚く。

 

ファンタスティックビーストは面白かった。懐かしい呪文も出てきた。ああいう世界を書きたいと思うが、結局模写はしなかったな。

 

舟を編む、と進撃の巨人も見る。

 

 

家にいる時間が短いから、おそらく2週間(かもっと)付けっ放しのPCはさすがに動作が遅くなってきて、やばいなあと思っているだけで今日も付けっ放しのまま会社へ行くのだろう。

 

朝日が登ってきて、改めてこの社会のクソ性について自動的に頭が回り始める。

 

アニチューブとかまとめサイトとかの不可避的に視界に入る下品なエロ広告をどうにかしろ。そりゃあ男に不信感持って痴漢冤罪も増えるわ。ボケが。

 

マイホーム (笑なんてもの目指して働いてた我々の先行世代のせいで今の社会の寄る辺なさが生まれてんだろが。老後のこととか考えなかったのか?生活なんてそう簡単に変えられんぞ。死ね。

 

こんなに文明が発達したのになぜ人々の労働時間は増えてんだ?何で俺はこんなに働かされるんだよ。仕事がなくなる漠然とした不安が原因ならもっとしっかり考えろ。何かやり方があるはずだろ。

感性を殺されるくらい忙殺されるのなら金も稼げなくなって死んだほうがいくらかましだ。

 

社長はバカ(いい意味での。つまり後先の細かい計算を度外視して行動できる稀有な人種)しかなれないことがわかったし、動画枚数なんてくだらない評価基準は絶対でないこともわかったし。付き合う人の数や種類を増やしていけば、隣の人からの評価に惑わされずに住むこともわかった。

 

 

俺の住んでいた世界はもう少し先へと広がっているんだ。

 

 

 

 

はてなブログを書かないと

と思い1週間が過ぎる。木曜日は徹夜して作業を終わらせて、明日はさっさと帰って惰眠を貪ろうと思ったがそうはいかず、金曜日も夜中11時くらいまで付き合わされる羽目に。

次の日の土曜日、15時くらいに出社したが、昨日からずれこんだ6時間のせいで作業が終わらずまた終電を逃し、朝になってから帰る。

そこから寝て、日曜日、起きたと思ったら17時。

 

はてなブログはいつ書けるんだ?今週は様々なことがあったのに。

最近読んだ本とか

ベイビー・グッドモーニングを読んだ。

the.河野裕!て感じ。どうでも良い話がほんと上手くて一つの才能だと思った。

世界で一番優しい言葉について、とか。

雲の形について、とか。そんな感じの。

 

絶望系、ずっと積んであったのを引っ張り出して読んだ。決着つけないとと思って。

決着がついただけだった。涼宮ハルヒを生み出した谷川流はどこ行った?

 

ルーの歌、面白かった。サメのオヤジを生み出しただけであの映画の価値はある。話は散らかってまとまりがない。善意に満ちすぎ?

 

明日からもまた、異なる価値観の対立に備えてテンションを保ち続けなければならない。いい加減にムカつく。

 今日はここ最近で一番心が落ち着いていた。ここ一年でも一番?

だから絵も捗った。そもそも創作とはこういうものなのかもしれない。

なんだか別の関係ないところで足踏みをしているような気がする。トップスタジオになるためには、スタッフの情熱、知識、志もとても高いものが要求される。

 

そんなところで、たくさんの矛盾を抱えている気がする。