自家中毒怖い

やってしまった。

反省する。

自家中毒によって引き起こされる不安、不満、うつ、神経過敏は、様々な悪い影響を現実生活に及ぼす。

 

こんなはずじゃなかったのになぁ.....なんでこんなことになってしまった。

理由はわかっている。自分の快楽を、仕事の納期より優先させてしまっていたことにより招いた結果だ。

過去の日記を読み返してみた。なんとまあ、浅はかで自分勝手なことばかり書いてることだろう。

一貫して、被害者ヅラ?世界が自分に与えるストレスを、いかにスルーして身をかわすか?

責任のアウトソーシングだって?ふざっけんな馬鹿!無能!

コントロールするとか言っときながら、全然やってねーじゃんか。

責任を負うことじゃなく、いかに責任から逃れて自己利益が増大するかってことにしか頭がいってないじゃんか。

勝ちとか負けとか、そういうのをなんだかなぁ(失笑)なんてはすに構えて見ながら、一番意識してんのお前じゃんか

 

というか、こんな領域想像すらしていなかっただろ?

いつかこの自分勝手な生活を続けて行った先に、なんでも受け入れよくしてくれる美人な女の子と結婚できるんだろうなあワクワク♡とか考えてたんだろうが、そっちの方が失笑だわ。

 

怖い怖い、健全な創作の続けていくと、その欲望と快楽がコントロールできなくなってくる。

コントロールできないのはひたすら怖い。

休暇をもらって頭を冷やそうと思う。でも、休暇の際に描く絵には締め切りがない。

またダラダラとyoutubeでバラエティ番組を垂れ流しながら意識と無意識の間の抽象的な自分の世界に入り込んで、そこから抜け出せなくなるんじゃあないのか?ってすごく怖い。

描けない不安は正の方向にも働くんだ。

やっぱり俺はコンプレックスを持ってるよ。

意識だけかける側の人間でいるつもりなんだよ。

人と話すと不快になるあの状態、

人と話すのが比較的楽しいあの状態。

意識を高いレベルで維持して、人間関係と絵を両立させよう。

 

今日も

疲れた

変に気を使って知らないうちに疲労がたまっている。

全員帰って一人で動画している時にその疲れがどっときて、明日おわらない動画をどうしようか?

明日は14時からラッシュがあるし、午前中に中割り見てもらわないといけないし、

午後には別カットもチェックを受けないといけない。

そして休暇申請を出して、後輩への仕事の引き継ぎをして、

あ、おわり?リテイクやりたいなあ、てかこんな時期に休んでいいの?

完全スタンドプレーの無双モードでは比較的周囲にアンテナを張って、臨機応変に対処しなければならないここ最近の状況との釣り合いが取れないことがわかり、明日からどんなふうにして動画をやろうか?集中せずにやってたら予定してた時刻に終わらないぞ。

明日7時に行けば12時まで5時間あるから、ラフ四枚くらいなんて余裕でしょ。一枚に1時間以上かけられるじゃん。10時前に終わらせて、それからもう一つのカットやるか。

いやねー

誰にも吐けない愚痴がどんどん溜まっていくってのは結構きついことだなあ(今更?)

最近ここ単なる不満や憤りのはけ口になってないか?

 

 

○○○○で会場抜け出して外でタバコ吸ってる間に考えたんんだけれど、

どっかに属している間、誰かが前にいるその瞬間、ぱりっとした緊張みたいなものが生まれ、抑うつが姿を消す。これが自分の社会的ポジションに対し責任を負っている状態であり、これを正常な状態だと自分は思っている。

 

 

一方で、絵を描いていたり、ストレスの息抜きに外でタバコなんか吸ってる間とかによくふっと不思議な感覚になる。この世の全てがどうでもよくなり、今まで責任を感じていたものやことに対して急に一切の執着が消えてアレっと思うことがよくある。

(どーでもいいじゃん、俺この会社辞めても最低限生き続けることはできるし。

このタスクが果たせなくても周囲の信頼を裏切ってもそれをいっさいがっさい自分の中で無視してなかったことにしたら別にダメージ負わないもんね。

 

 

この種のストレスはなんだろう?

「思い通りに」本能的な欲求に従えないことがこの世のストレスのつきつめたすべての原因であり、悩みというのは理性の「そうはいっても無理だよね」という妥協によってもたらされる。

 

どーでもいいという思い通りに生きられないことが瞬間的に厄介なストレスとなってのしかかってくる。

創作と現実の間にまつわるアンビバレントな苦しさ。

ガウスだかなんだかが「虚空に漂う妖精の影をつかもうと四苦八苦していると、授業の予鈴を知らせるチャイムが鳴る。その瞬間の、全く別の世界へと頭を切り替える苦しさは言語を絶する」なんて言ってたのがツイッターで流れてきたのをうろ覚えで覚えていて、あとで検索かけてもそれっぽい言葉が全くヒットしなかったからアバウトな記憶にもほどがあると思うんだけれど、でも見た瞬間のああなるほどなって納得感とか安心感だけは覚えていて、その間違った知識が今の俺を支える一つの柱になっていたりもするのでまあいいんじゃないかと思ったりもするが、そんな感じ。

 

これが健全な創作を続けていくことで解消されていくのだろうか?

 

考えてみてもわからないことは、とりあえずやってみてたくさん経験値を積むしか無い。

実践でトライアンドエラーを繰り返して理想に肉薄していくしか無いと思うのです。

 

 

とりあえず今はその価値観の転倒がとても怖い、コントロールできなくなりそうな不安がとても嫌だ。

なんとかしなければ。

たぶん、1年たったらなんとかなってると思うので、この1年ぐらいが勝負なのです。

 

 

 

 

 

 

負けてたまるか

○○○で○る○○○が完成しない。

今までどうやって描いてたっけ?

というか、俺のもともと作りたいものって何だったっけ?

 

という状況が3時間も続いていて、もうこんな時間だ。

また今日も、エアコンと電灯とPC(デュアルディスプレイ)で電気代をどんどん嵩ませながら非生産的な休憩に明け暮れている。

 

昨日は帰ってきてから本当に絵が進んだなあ。

先日から続く○○との(水面下の)確執が未だ晴れない。

 

何だろうこのフワッフワした感じ。

俺っていままで何を考えて生きてきてたんだっけ?

 

 

あーあ、

創作欲求をうまく発散させることで、日常が大きく回り始めるんじゃなかったんか?

ところが、今はその創作の快楽の溺れてしまって、日常に帰りたくない。

楽しいし、気持ち良い。ここから離れたくない。

先日までの憂鬱な気分が嘘みたいだ。

 

 

5年くらいずっと絵に関してはスランプで、本当に長いスランプでそんなことあるかふざけんなって思うんだけど、それを解決できるとっかかりが最近ようやく見え始めてきた気がする。

そんなに良い調子な時なのに、また俺は何か同じような過ちを繰り返そうとしている?

 

 

繰り返すが、

お前がまず第一に優先的に守らねばならぬのは、お前のクソみたいな日常じゃなかったのか?

それを今、お前は何かものを作り出せるという(それもとてもレベルが低く、その低いレベルのものをいいねすごいねって褒めてくれる周囲の環境に依存した、確固とした経験も実績もない、実体のない幻のような)免罪符を盾に、そのいのいちに守らねばならない、うまくいきつつある貴重な日常を、全部放り投げてどーでもいいって責任を感じないようにしている?

 

 

なんだよそれ、ふざけんな。

この日記帳に4ヶ月ほどに渡って書き記してきたお前の考え方や矜持はどーなるんだよ。

また退廃的な快楽を優先的に考えて社会不適合者になる暗黒の生活に逆戻りするつもりなのか?主に学生の頃の。

 

 

いいか?今の状況の問題点は、過剰なプラスの責任が自分で取れてないってことにあるんだよ。

過剰なマイナスも過剰なプラスも、どちらも精神の均衡を阻害して破壊的な行動を取ってしまうという点では同じことで、その両方の経験に基づいて中間の行動を取れるのが成熟したプロのやり方ってもんじゃないのか?

かいつまんで言うとお前は今の(ある種錯覚的な)幸福が突然なくなった時のお前の不安定な精神の責任を取れるのか?面倒を見られるのか?ってことなんだよ。

無理じゃん。

 

 

 

だから問題なんだよ。とりあえず今お前のすべきことは、淡々と、クールに○○○○○○○○を終わらせて明日さらっと○を○って、それを日常に回収させてゆくことなんだよ。

絵を描く時に考える必要があるか?なんてほざいてたけど、消化不良による焦りの感覚がなくなって冷静になって考えた今、お前の状態はひどくひとりよがりな悪いものなんじゃないのか?ついこないだまでよくあって悩んでいたような?

 

 

こんな時間だってどーでもいーんだってクソ。

早くやれってば。

そしてそれを日常にして、その上に今までみたいにちゃんとものを考えていろんなものをよく知る生活をかぶせていくんだ。

 

それを望んでたんだろが。

 

 

 

7時には帰りたいんだが。

 

1日に絵を3時間は書かないと能動的に何かする気になれないんだが。

 

ウォークラフト見て思ったよ

決断に悩むのは敵と味方どっちの言い分もわかるからなんだって。

そんなやつが主人公で、それに似た俺の性格も捨てたもんじゃないなって思ったよ。

 

そんなやつが誰かを嫌いになるには、軽蔑という方法をとれば良いんだ。

 

 

人を嫌いになるにも作法が必要なんだね。

 

 

今日はまだ続く、

 

あぁあ

また完璧だったなあ今日の会話。

いち、にい、さん、し、56789、

覚えてるだけで9こもある。

あれ?会話するたんびに俺の理想通りの形になったんじゃないか?

またこの幸せな感じの帰り道。

 

 

といって、俺はまた不安になる。

 

憂鬱なときは、行動するとまた痛みが増えるから行動したくなくなる。

幸福なときは、行動するとまたこの幸福が壊れてしまいそうで行動したくなくなる。

結局どちらも能動的に動けなくなるから不安なのだ。

 

 

 

夏コミに行ってから心の調子が良い。

心の調子が良いと、体の調子も良くなる。

やっぱり俺コミケに救われてるよと実感する。

ないと死んでしまう、切実な方の救われ方で。

 

 

そういえば今日宇多丸のシンゴジ評を聞いていて、日本人が無意識的に思ってる

「こうなればいいのになァーっ」という欲望をそのままのやり方で満たしているから、シンゴジを手放しで評価するのはある意味で危ないって言ってたの聞いて、当の自分が無意識のうちにそういう満たされ方をしてしまっていたことに気づいて呆然とした。

なるほど。さすが、宇多丸さん。

 

 

今日こんな感じ。

 

こっから教訓謎を考えようという気はさらさらない。

ただ対処しなければならない日常に延々と対処していくだけ。

 

おわり。

口が勝手にスラスラ動いて、好印象を与えるであろう受け答えを繰り返す。

 

ハキハキと答え、力強くハイと返事をし、目上の人には敬意を重んじる。

 

 

二階堂ふみがしゃべくり7に出てた。

やっぱり格好いいな彼女は