希望欠乏症

昼過ぎに起きて、15時過ぎに会社へ行った。22時にはそのまま帰ってくる。

今日行ってラストの1カットをあげれば、この1月くらい続いた長い長い3話数跨ぎのマラソンがついに終了するって思ったら、安心感でぐっすり眠ってしまう。要するにもう頑張りたくないんでしょ。

とはいうものの、7時間働いてるんだな。

少なくとも、12時間以上は働かないと疲弊しなくなった体を(つまり、中途半端に気力と体力を残したままの体を)35キロのスピードで原付は家へと運んでくれる。

「あ、限界だ」と悟るところまで描いて、限界がきたらどんな時間でも家へと直帰できるように原付を買ったのだ。まだまだ余裕DEA~THてな感じのまま会社を出るのは何となく後味が悪い。これも何かに洗脳され、若い労働力を搾取されているのか。しばし悩む。

 

 それでも家へと帰ったらちゃんと気疲れしていて、僕は近くのファミリーマートで買ったロールケーキとヨーグルトを貪りながら、youtubeで人間・東野幸治徹底解剖SPなんて動画を見ながら一人でゲハゲハ笑ってしまう。ここのところ、集中して絵を描くことが多かったから何となく、テンションがローのまま回復しなく、誰ともあまり話したいと思えない。そんな時に見る東野幸治の動画は格段に面白くって、中高生には受けないくせに、30際以上の男性ファンが異常に多いとどこかで聞いた噂を思い出してまた笑う。そんな感じで1時間半、また僕はだらけてしまう。何にもしたい気分になれない。まともに頭が働かない。意欲によって脳の方向づけがされて、特定の方向へ行動させようという回路がショートしている。

いい加減に動画も飽きてきて、歯を磨いてシャワーを浴びて、ふと気がつくと意欲が戻ってきている、何かしたい気になれている。やった!回復した!さっきのはダメな方向へと自ら突き進むいつもの憂鬱さではなく、ただの休憩だったんだね。

 

 10クローバーフィールドレーンのことを思い出していた。昼間に岡田斗司夫が話しているのを、これもyoutubeで聞いていたからだ。2,3年くらい前に劇場へ観に行って、話は面白かったのだが、とても落ち込んで帰ってきたのだった。僕にあの映画の登場人物のような、極限の状態でそれでも生きる方向へとコマを進めるだろうか?まだまだ行きたい、行動したい1と、いう指向性を、脳は持ってくれているだろうか?「もう いいよ〜」って床に寝転んで、目と耳を塞いで隅っこでうずくまっている自分が想像できて仕方がない。

おんなじ状況があるって考えた。○○さんのことだ。こんな環境で、なぜあそこまで行動できるのだろうか?2人いれば1人でやるより何倍の助けにもなうとはいうが、状況は確実に良い方向へと転んできている。なんてすごいんだろう。僕にはあのような白熱した意思と指向性があるだろうか?そう考えて嫌になる。

 

 そこまで考えても、結局は着実な日々の生活の積み重ねなのだ。あのカットをやって、明日はあのカットをやって、明後日は別のカットをやって、そのような積み重ねは、半年以上経過した今、確実に良い影響を自分に与えてくれている。指向性というならば、放っておいてもこの方向へと動く力だけは100パーセント止めようがないので、その力の向く先を、ほんの少し○○さんの方向へ寄せて微調整を図れば良いんだろ。

それが人に影響を受けるってことなんだろ。

 

 

 

 

希望欠乏症

なんにも  いいと 思えない

あんまり 憤慨も しない

 

こんな時代じゃ てまひまかけよが かけなろが しまいには一緒くた

きっと違いの わかる人はいます そ信じて丁寧にこさえてましょ

 

椎名林檎の歌がとてもよくていつも聞いてしまう。かすれた悲鳴のような声が生っぽく聞こえて動揺させる。