習慣とは恐ろしいなあ

いや本当に。

歯医者へ行くために昼間会社を抜け出し、駅のホームへ向かう階段を上ろうとすると、何も考えずに普段通りの階段を登っていることに気づく。昼間はエスカレーターが登りを向いているのだ。そっちに乗ったほうが良かったのではないかしら。

 

恐ろしいというが、原画に上がってからというもの動画時代の習慣からはとうに抜け出して、また新たな習慣を形成せんといろいろ試してみている。ある種の対応を任されて半年前にIN時間を遅らせてもらったまま、それが済んだ後でも遅らせたIN時間はそのままになっており、寝ぼけた頭で慌てて会社へ行くこともなくなった。あてがわれたルールを悪用しているのだが、それを「悪用」するという前提から疑わねばならないんじゃなかろうか?きちんとした生活を送っていればそのようなルール、ある方が害になる。子供か。

帰ってからの数時間、絵を描くことに集中して、起きて悠々と出社してloを切る。この繰り返しはとても良い影響を私に与えてくれるはずである。ガヤガヤうるさい外野は黙ってろ!私は気にせず、趣味の世界に走ることに決めたのだ。会社組織の枠にあてはめるととたんにアニメーターというのは生産性が落ちる。ベースは同人なのだ、趣味なのだ。枚数とカット数を管理され、エクセルで平均値を割り出される、それが直接給料に反映される。そんな不毛な環境からスーパーウルトラレアなアニメーターが育つわけがないのだ。しかし会社組織という構造上、会社の利益になっているかの査定はしなけりゃならんし、ノルマは必要だ。その矛盾に真相で気づいていながら「組織として」一律のルールを設けて何か打開策をこうじようとしない外野のことなど、どうせ結果が同じなら気にせずにいたほうが精神衛生上よいと思ったのでした。

 

歯医者が終わって、こちはも半年ほど通った歯医者だったのだがとうとう終了と相成りました。なんだか突然に終わって拍子抜けしたし、見知った先生だと突如の別れを宣告されたようでほのかに寂しい、と、思う感情も、他人に重度に肩入れしてしまう自分の恥ずべき点であると。こういう時にこそその場の人当たりの良い会話が好まれるのだ。僕は苦手だし、もっと深くスローなペースの交流を望ましく思い、それこそ恥ずべき物として軽蔑してきたものだったけど、こういう場面で必要になるんだなあと思った次第。

 

機動警察パトレイバーを全巻Amazonで購入して読んでいるのだが、これが気が狂いそうになるくらいに面白い。ゆうきまさみ出渕裕アオイホノオでしか知らない人物のルーツを初めて知る。漫画も上手い。こういうのを上手いっていうんだろうか。内容も適度にハードなのに、ここまでキャラ物として楽しく描けるもんだろうか。

 

また置く場所を考えなければ、本棚新しくしないとね。

 

こういう習慣だけは抜けないし、やめられないよね。