儲かった、儲かった。

終わってみれば何のことはない。

なんて言ってみると嘘になるが、

またまたこの業界とは...と頭を抱えたくなるような矛盾に満ちた奴隷労働を終えて、平均的な月の稼ぎの実に2倍もの金額を勝ち取ることができた。

終わってみれば、何のことはない。ゲロ吐きそうなくらいに不安でしんどいものだったけど、

原画に上がる前に体験しておいて何も損はなかった。おかげでちょっとは、強くなった。

 

なん年ぶりだよってくらいの代休をもらって、平日の昼間に新宿にニンジャバットマンを見にいく。人混みは怖い。情報量過多で、頭がパンクする。この中の誰とも関係を持てる自信がない。何時間もいると、孤独感により見当識が危うくなる。

 

と、思っていたが、あのヤバい労働を乗り越えた後の頭では明らかに何かが鈍っていて、鍛えられていて、強くなっている気がした。

 

 ファーストキッチンでチーズバーガーを頬張っていた時に、バイトの女子高生が学校に行く時間がないと話しているのを聞いて、東京の高校生はバイトが学校の時間を侵食するものなのか、僕が高校の頃はその時間は絶対のような気がしていたのになあ等と思う。きっとかつての僕に必要だったのは、甘く守られた自宅のPCの前に座っていることではなくて、外部とのつながりを開拓して、自分でコントロールする強さだったんだな。

 

 映画が始まるまでの間、暇を潰しに紀伊国屋まで出向くと、足繁く通っていた芸術図書コーナーの場所が移動して、縮小されていることに気づく。何だかなあと思いながらも、そこで立ち読みをしながら小一時間の時間を潰す。HOW TO 絵の書き方などという本はもう読まない。もう必要なくなったのだ。異国の写真集なぞを眺めながら、ここではない世界の果てで生活している人々について考える。なんだかなあ、この凝り固まった、日常的なものに支配された世界観や倫理観は、このページの上の世界では意味をなさない。その場ではその場所の価値観があって、それぞれの法則によって彼ら彼女らの世界は動いている。そんなことを考えて今いる自分の世界の相対化を図る。私は自由になりたいのだ。

 

 うちに帰って、サークルドットMSを立ち上げて、コミック1の参加申し込み登録をする。その晩のうちに入金を済ませる。本当は夏コミ後のコミティアに出るはずだったのだ。10月開催だが、ひとまずの目標ができたことに安堵する。

絵を描くという行為が、社会とかみあい、回転しだす錯覚を感じる。それは生きてるって感覚だ。

生活と、観念と、価値観と思い込み、その凝り固まって、堕落した頭の中身は、超過労働、激務によって刷新された。原画に上がる前に、体験しとくべきイニシエーションだったのだ。超えられるハードルだったのだ。

 

 徹頭徹尾自分のことしか考えない。この場所で生き残って行く秘訣はそれである。自分に利するところがあるからやる。興味のないことは一・切やらない。自分が超強くなって、その労働が結果的に他人の人をも救えるのだとしたら、強くなることと、他人から乖離して行くこととは矛盾しないんじゃなかろうか。

 

 溜まっていた洗濯物を洗って干したら、風呂場に溜まっていた悪い気がいくらかマシになった気がする。

今日はちゃんとゴミを捨ててから、会社へ行こ〜っと。