欲望の正しい満たし方
浮かんでは消えていく想念を書き留めておく術をもたない。
もっと本質的なことを、差し迫ったことを考えているはずなのに、「書く」という行為に至った瞬間に頭の中から霧消してしまうことが多くって困る。
状況が最悪なのに2原のスピードが上がらないから、何も力になれないことが歯がゆくて腹立ったしい。もっと力があればなあ。
本当はもっと違うことがしたいのにべき論で行動してしまって、いつも正直になれないで困る。
「書く」という行為以外の日常を全て最小化してしまえば、書くスピードも上がるんでないかと安直にも思ったのだが、徐々にヘイトと衝動がたまり行き、立ちいかなくなる。気分転換とは言わぬが、何かその衝動を満足させる行動が必要だ。思ったイメージはいつも現状の2、3歩先を行き、絶望の袋小路へと迷い込んでしまう。この世界には絶望しかないような気がしてしまって、禁煙していたタバコも吸ってしまう始末。
ちがうのだ、あの人も、僕が嫉妬と羨望の目線で見つめているあの人も、あの人も、
仕事しかしていないように見えて、なにか自分のペースを取り戻す日常の何かを持っているはずなのだ。飯を抜いても動画のスピードは上がらないように、逆説的に見える事柄は、意外と真実だったりする。
そんなことで駅前の居酒屋でしこたま酒を飲んだ後、カラオケで心ゆくまで酔いしれて帰路につく。眠りに落ちるのが難しい夜は、酒を飲むのもあながち間違いではない。
全日本総ADHD化社会という、また主語を大きくして勝手に絶望に浸っていた。確かに思い当たるところは多々あるが世界全体がそのような気質になっているように見えて、それは自分の気質を世界に投影しているだけの「セカイ系現実応用編」なわけですね。
ハンターハンターが連載再開をするというニュースを見てまた少し世界に希望が湧いてくる。
大暮維人の化物語を毎週見ることができて、世界に希望はあるような気がしてくる。
後輩の女の子と最近距離が近くなって、世界に希望が持てたような気がしてくる。
酔っ払った頭で帰路についている時に、家の近くにある女子校の前を通りながら、バス停で帰りのバスを待っている女子中高生たちを見ながら
誰かこの女子高生が困っているところを何かの折で助けたりなんかして、
それがきっかけで仲良くなったりなんかして、
隣の団地に住んでいたりしたら、この街に知り合いができたことになって、
文化祭なんかに入って、その娘の友達とも話したりして、出し物を見て、適当に感想を言ってから買って、その娘の友達の出している屋台で一緒にご飯を食べて、女の子の知り合いがたくさん増えて、
たまに夕方になんかにふらふら帰ってたりたりしたら、部活終わりの女子高生たちに、お兄さんおかえりー!なんて言われたりしたら、ちょっとは希望が持てて、
この街に住んでいるという実感も得られて、
とってもいいんじゃないかなって思った。
この妄想は文章にして世界中に発信されたまま半永久的に消えないわけですが、
この自分の頭の中身は、ちょっとした希望や絶望がハウリングして長く続くようにできているから、
そんな妄想一つで12時間は元気でいられたりするわけですよ、だから別に、過去の発言を掘り起こされて、何かの折に叩かれるような社会でも、これくらいは許してくださいよって思うわけで。
いつからこんなメンドウクサイ世の中になってしまったのだろうと、
俺はまた「イメージと印象によってネガティブな部分が忖度されたユートピア的イメージの中の昭和」という存在しない過去の世界に逃げ込むわけですね。
昭和に生きたことのない平成生まれの僕だけど、昭和っていいよなあというイメージだけの異世界に精神だけでも転生して、
仮初めの希望を手に入れるわけ。
でも昭和65年って異世界感あっていいよね。
最近はSCPとかクトゥルフ神話とか理性の及ばない世界の物語をアホみたいに読んでいる始末。
世界に希望はあるのだろうか?
これもうまいアニメが作れれば解決する問題ということでどうでしょ、ひとまずこれで寝るとしよう。
明日の朝になってみればちょっとは気分も良くなっているはず。LINEも来てくれたしね。