乗り越えた系と、はじめからなかった系

マジ吉良吉影に関する考察なんて書いてる場合じゃなくって、最近はもうそんなもので悩む必要も無くなっている、生活を立て直す、この抑うつ感を乗り越える。

 

何か社会生活に快感ポイントを感じる部分を見つけないと、また僕はいつものように人混みの中に出て、その中の一人でも誰かと関係を作ろうと思った時にとんでもなく大変な憂鬱の連続を乗り越えないといけないのかと考え、そのハードルの高さに驚愕し、一人だけの世界に閉じこもってしまう。

 

https://twitter.com/akiman7/status/992955814649348097

 

 

あきまんがこういうことを呟いていて、じゃあ自分は絵が下手な焦燥感よりも、孤独感の方が強いんだとか納得してしまう。

いや、多分もっと昔は、絵が下手なことを恥じ入る気持ちの方が強かったのだろう、だからろくな人間関係も築かず、一人っきりで図書館で絵を描いていたのだろう。

自分の絵の出来を許せるようになって来たから、孤独感の方が強まって、

安定的なものを求める方へシフトしているだけなのだ。

 

3日間もらったGW(笑)、土、日、と、死んだようにマリオをやって自分は機能していなかった。その甲斐あってか1日半ぐらいでクッパ城まで行って一通りクリアできた。

起き上がれない、とか思ったけど、いっつもこんなんじゃんとか開き直ってやっていたら、昼夜逆転昼夜逆転を繰り返してちょうど早朝に目が覚めて、それで自分の頭がスッキリしていることに気づいた。頭の洗濯だったな。僕普段ゲームやらないからわからなかったけど、モンハンワールドとか○時間もやって皆すごいな〜なんて感じていたけど、脳みそを洗たくするのってすっごく気持ちがいいね。

 

上長がいつも使ってるとか言ってたsmartnewsなるアプリを自分も入れて、本当にヒマな時にテキトーに見ているんだけど、オタクと恋愛の両立は難しいのかなんて記事があって、やはりそこは難しいが多数を占めていた(アドレスを失念しているので印象のソースしか残っていない)

簡単だと答えた人の中に、「そもそもそういうものじゃないから」なんて言ってる人がいて、そうかこの人にとっては恋愛をするために乗り越えるべきコンプレックスが何もなかったんだなとか思う。いや、もしかしたらちゃんと乗り越えた後の人なのかも、

両者は同じ結果を表しているが、過程が全く違うため、本質的には結果も全く違う。そういうコンプレックスはじめからなかった奴に、そういうコンプレックスを乗り越えられなかった奴に、面白いものが作れるとは到底思えないし、自分はそうありたくない。

 

https://twitter.com/31104423/status/993023900723302401

 

「わからない」ことが「わかる」ようになる変化を経験した。

高校生の頃にかいてたyahooブログを読み返して見ても、なんて頭の悪い、底の浅いことしか書いてないんだろうとか思うし、しかし当時は自分はクラスの中でも他の人よりかはものを考えていると思っていた。この変化は今の自分にも起こり続けていて、例えば去年のGWに僕は自分の住んでいる町の周辺を徘徊しながら、どうして吉良吉影みたいに慣れないんだろうなんて考えていたし、今ではもっと他に、考えなければならない大切なことが山ほどある。

自意識のことを考え続けると、カタツムリの殻の中に入っていくように先はないなんて宮崎駿も言っていたし、昨年の自分はそれがわからなかったのだ。

 

ずっとずっと気になっていたカトリーエイルと大富豪の陰謀をやって見たがUIがクソ、説明文、もっと分かり易く書け。なによりカトリーのグラフィックが可愛くない。

やっぱLEVEL5嫌い、日野晃博と感性が合わない。

児童文学の精神やで。下品なのは嫌い。