彼女ができました

 これと言って劇的に何か変わったわけでもないし、変に意識してしまっているぶん、以前の方がもっと上手く話せていたのかもしれない。

岩崎愛が、いつか君にも愛しい人が現れて、全然ロマンチックじゃない方法で君を奪いにくるからなんて歌っていたが、そんな風なやり方で僕は彼女を奪ってしまったし、まさにそんな風にしてまったくの他人の人生がぽんっと急に自分の中に入ってくる。

 とても幸せ、幸せだけど、この幸せにアイデンディディを立脚させると、あとで痛い目にあうぞという夜は短し的な童貞くささにとらわれ続けてしまう。

しかし、その時点で僕は彼女のことを信用していないということだし、それはとても不誠実なことなのだ。

 

 模造クリスタルを会社の後輩に進めることができて、とても満たされた気分になる。行きの電車で次に貸す本を読んでいたりする。僕は中学生の頃から模造クリスタルという人物を愛してきたのだ。確かにこれは「愛」だと言えるのだろうが、僕はそういう風にして創作物を愛してやまずに生きてきたのだが、この種の愛は自己充足的なものであり、利他的なものでは消してない。そのように激烈で一方的な愛情しか体験してこなかったんだ。

 

 根拠のない自信とは一体何かと考える。なにか重要な体験に出会った時に根拠のない自信のなさがそれを体験することを阻んでしまう。根拠がないという点ではどちらも同じことなのであり、要は気分の問題なのだ。そういう気持ちは理屈ではないのだ。

 

 未来のことを考えて、彼女を喜ばせたいと思い、彼女に幸せになってもらいたいと思い、彼女にたくさん笑ってほしいと思う。それはとても幸せなことなのだ。極端なことでシニカルに笑っていた僕は、何か新しい考え方をしなくちゃならないんだし、変わらなければならないんだと思う。弱者への共感を人質に取られて、肯定的になれない自分は、どちらも助けられる強さを手に入れなければならないんだと思う。

 

 本当にすごい人に出会って、変な人にも出会って、そういう新しい人との交わりは、自分の固定観念を打破してくれるんだろうし、変わるきっかけを与えてくれたりもする。誰かからの愛情にぶら下て、無限に供給されるコンテンツにぶら下がって生きていくよりかは、幾分そっちの方がましだろう。たとえかつでどれだけ、死にそうに打ちのめされたとしても、そっちの方がましだと心からそう思う。

 

 過去のことと、これからしなきゃいけないことと、彼女のことを考えることがぐちゃぐちゃってなって、どうにもならない。

アニメにしかなかった興味、それだけを一生懸命やるなんてバカげている。

いや大事だが、問題は一生懸命やりすぎていたってことなんだ。 

これから話していくうちに多分、お互いがちょうどいい距離を収束させていくんだろう。