一人でいると、生活がどんどん雑になってしまって困る。

 年始に実家に帰った時のことを考えた。あの充実した日々を思い出し、これではいけないと思ってベッドから出る。

一人になると堕落してしまう、このダラダラとした退廃的な気分はなんなのだろうとか思い、シャワーを浴びる。

目的がないからだ、目的があると自分は正常に活動する。個人の欲望とかしたいこととかを、おおっぴらに表明してはいけないという抑圧は確かに自分の中にあり、それは確実にこの生活に影響を及ぼしている。

切れたシャンプーの詰め替え用セットと、弁当と煙草を買いに近くのスーパーまで歩いた。燦々と降り注ぐ冬の日光に当たりながらふらふらと歩いていると、目的ができたので快調に動き出す自分を感じる。

別にこの状態を、普段から物にしたいと思っているわけじゃない、あのだらだらして退廃的な生活に慣れきっているせいか、そういうふふうな生活が恋しいと思ってしまう自分もいる。

 

 ●●●● ●●●みたいなことやりたいじゃないッスか〜

とか言ってる自分を想像して、これも一つの目的だなと思う。

なにかをするためには、別の何かを切り捨てねばならない、とか思っていて、

それは濃密な人間関係であったり、誰かを足蹴にすることだったり、

誰かに冷たい態度を取らざるを得ないことだったりする。

と、思っている。

ランウェイで笑ってという漫画が面白くて、今週のマガジンを立ち読みしたらまんまそんな状況の話が載っていて笑った。フジトさんは、トップモデルになるために周囲の様々なことを切り捨ながら目指している。しかしツムラくんは、妹たちの生活も、勉強も、周囲の人間関係も、全て捨てずに、トップを目指している。

彼が勝ったら、彼の生き方は証明されるのだ。

 

 ダーリンインザフランキスを見てやっぱりアニメってこれだよなあと思う。

不安定な自我と、性的な承認と、それがロボットに直結する感じ。

最先端で笑う。やっぱ錦織さんはガイナチルドレンだわぁ。

 

 日曜だけど、家で仕事できるように慣れれば、自分も成長したと言えるんじゃあないだろうか。

仕事はいいぞ、他者からの承認だって貰える。

年齢とともに、対処できる事柄も増えて言って、自分自身を越えるのに破壊的な行動を取らなくても良い様な気がしてくる。自らの殻にこもっていちゃだめだ、破壊的な行動をし「なければならない」という「抑圧」に、無意識のうちに、いつもいつも悩まされてきたのであった。

 

 これが正しいことなのかはまだわからない。

人生はまだまだ続くぞ。