どうにもならないことを、どうにかしようとすることを青春っていうのではないか

とんでもない混乱の渦中に放り出されて、それがどうやら自意識をめぐる問題であることを知ってから幾許の年数が経ち、振り返って考えてみるに、どうやら自分はその種の問題から解放されつつあることを知る。

 

○話がどうにか納品できて、いろいろあったがなんだかんだ、それなりに満足のいく出来になって気持ちが良い。

○話もなんとかなりそうで、それが終わると○○の話も出来る。

 

現実の問題が、それなりに対処可能になったことが影響しているのだろうか?

対処可能になる過程の中で、何か変化があったのだろうか

 

 

○○○○の○○話の出来を見て、少年の心に火が熾る。

 

この街を、歩けば〜、

斉藤和義の曲をitunesでダウンロードする。夜道を歩いて帰りながら、イヤホンジャックから流れてくるメロディーに身を任せ、昂ぶる感情にシンクロさせて悦に入る。

 

ずっと好きだったんだぜ、相変わらず綺麗だな

ほんと好きだったんだぜ、ついに言い出せなかったけど

 

でも、今度はそれをできる、という確信が、今の心を支えている。そうじゃないと、最後まで持っていない。こんな非生産的な事!

「誰かがやらないといけないけど、別に俺じゃなくても良いんじゃないの」という甘い誘惑は、しかしどちらが正しいのかが最後までわからない。

周りの人々は、僕を置いてどんどん先へ行く。

それに対して嫉妬する事なく、素直にすごいなと思うようになる。

最近はリテイク作業にすべての力を捧げるように絵を描かない。

こういう状態が影響を与えているのかは、終わってみるまでわからない。

予測できる行動をくそみたいだと思うようになる。安定を得るために変化を恐れるのを本当に馬鹿らしいと考えるようになる。

恨みをためているんだろうきっと、怒りのエネルギーをためているに違いない。

付き合うよ最後まで。俺の持ってる話数はな。

お前らが悪いんだからな、お前らのせいだからな。

分かってるのか、お前らのせいだからな。

 

それはしかし、終わってみるまで、わからない。

 

絶対に上手くなってやるからな!!!!!見てろよお前ら!!!!お前らがくだらないと思っているものが、どれだけすごいか教えてやる!!!!!絶対にだ!!!絶対に!!!

血の涙。