バファリンとレッドブル
✳︎西武線の聞いたことのない駅まで行って、東京に出て来た友人と会った。
久しぶりに見る友人は、1年以上、電話で耳にしていた声のイメイジや、過去の記憶の、美化された印象とまるで変わって、とっても痩せていて驚いた。
噛み合わせの治療をしてるんだ、と、笑って見せて、歯に巻かれた矯正器具を見せつけられる。パン屋であんパンを食べて、ダイエットしてるのにパンなんか食っていいのかよと笑う。何も変わらない、なんだか懐かしい気持ちになった。
良いアニメ会社を紹介してやりたいとの思いから、
「バイブリーアニメーションは18マンだ、エイトビットは17マンだ、しかも社保付き」
「最近は業界が変わって来ている、皆が定時で来て定時で帰る。ザ、アニメーターだともいうべき殺人労働は無くなったのだ!」
ここぞとばかり、改善点をアピールする。
最近の業界事情はこうなのだ(と、いう体でのイメージ操作をして帰る)
✳︎はてなブログからのお知らせ、1年前の記事を振り返ってみよう♪
などというフザケたメールが届いて、酔った頭でアクセスする。
1年が立って、俺って何か変わったのだろうか?ちゃんと画力は上がっているのだろうか?ひとしきり読んで、やはり焦りを感じていることに気づく。
やっぱりな、フザケンナ、しょーがねーだろバ〜カ
しかし、突破口は見えている。やり方もわかっている。
あとはやるだけだ。
ウシシ、見てろよお前ら〜
✳︎珍しい人との飲み会。無礼講で、また例のような話。
さんざ言われた事だ、ここでは書くまい。
あの人は怒っている、この人も怒っている。俺には怒りの感情がないのかな?
1年前のブログと同じだ、俺って怒ってない。
ただ、イライラはする、変なところで怒る。皆が怒るようなところで怒ってない
優しいよねとか言われる、オイオイオイ
僕がきちんと怒れるようになるための練習台なのではないかしら、
あと興味の磨耗して消え失せた仕事でも、心を殺したままテキパキとこなせるか
っていう
で?っていう。
やらなければならない仕事、と、やりたい趣味、とを一致させて今まで仕事をして来た結果、やりたくないことは、やりたくないから結果怒りが発生しないのではないかしら
やらなければならないことを、やらなければならない(のに進まない)から「怒る」
というシステムが頭の中に存在しないのではないかしら
俺はそれくらいでちょうどいいと思うんだよ、じゃなかったら今すぐ同人かけるだろって話よ。
言い聞かせ半分、マジが半分
ちょっと待て、やらなければならない仕事があるから、やりたいことができない、が抜けてるぞ。
イライラするぞ。
✳︎名探偵ホームズの絵コンテを読むことも怒りのせい
大逆転裁判をやることも
大いなる遺産を見ることも
上野のストリップショーを見に行くことも
芳垣祐介展に行くことも
プリンセス・プリンシパルを見ることも
終末のイゼッタを見ることも
ジ・アート・オブ・シンゴジラを買うことも
映像の原則を読むことも
オリエント急行殺人事件を読むことも
仕事をサボってコミティアに行くことも
外に出せば良い再動仕カットを自分でやることも
日曜日に、狂ったように絵を描くことも
日常を仔細に観察することも
全部が怒りのせい