思考

きちんとした生活態度を送ればきちんとした思考ができる。ここ最近、考えるための空白の時間が足りないと思っていたのは、欲望に爛れた生活を送っていたからだろう。予定が潰れた土曜の夜に、徹夜明けでろくに寝てないくせして終電をまたいで続けて2本も映画を観に行ったり、平日に新宿のとらのあなまで出向いてfate extra matelialを買ったり…

それは、なかなか楽しくて、それなりに充実していたのだが。

 

責任が伴い、体の変化が著しい。

僕はそうしたいからそうしているだけだ。自分の欲望に素直に従っているだけだ。

先行世代への憎しみに似た感情が消えない。近くにいる誰の言うことも、少しだけ間違ってるような気がする。もっと上手いやり方があるような気がする。

個人に依存しているようじゃダメなのだと思う。半分半分。個人依存がなければ成立しない仕組みではあるけれど、そのトップの人が他者への共感を捨て去ることが問題なのだ。

ある人がそのことを、欠陥という言葉で表していた。しかしだ、当時はそうしなければならなかったことはわかるが、今の自分がそうしなければならない道理はない。

 誰かが面倒を見なければならないのだ。しかし個人依存だから誰もが放っておく。そのくせ一人前に人が育たないと不満は言う。

さあどうなるだろうな、芽は出ないかもしれない。育てるってことはそもそもそういう保証がない。

みんな残ってくれれば良いというのは嘘。俺が今できるのは物入れを絶やさず管理するってことだけだ。あとは自由にやってくれれば良い。

 

やっぱりアニメが好きで好きで入ってる人とか、良い作画が描きたいという欲望に忠実な人とかでないと、どこかしら距離を置いたり、見下げたりするような感情が自分の中にあるように感じる。

それは今日自分がA1のエロマンガ先生を見てこんなことしてる場合じゃねぇって思ったせいかもしれないし、

昨日言われたことが原因かもしれないし…

 

 

アア駄目だ、喋りすぎると、うっかり余計なことまで喋ってしまう。

この声が近くの聞こえてはいけない人に、聞こえてるんじゃないかしら。

 

それが怖くてならないんだ、けれど、

怖がってるだけでもいけないな。