一番エラい人と話した話

うちのスタジオを率いる「監督」という職業をやられている人と話をする機会を得た。

遅くまで残って動画やってたら向こうから話しかけてきてくれたのだ。

 

なんだか色々なことを話して、1時間以上もその場にいた。動画作業は諦めた(笑

というか、そんな機会、たとえ明日が締め切りの動画作業でさえそっちのけられるくらい重要なもんだろ思った。

色々話したけどさ、スッゲー要約するけど、(本当はこんなものの何倍も含みのある言い方で)何事も好きになって取り組むといいよみたいなことを言われて、すげー考えたことがあってさ、

なんか、他人のこと好きになれば、家帰っても四六時中その人のことを考えてるじゃない?仕事や会議の予定とかも、そんなふうにして捉えられれば、自分から動けるようになるって話だと、俺は理解したんだけど、俺って家帰ってからも他人のことなんて考えたことあったっけ?て根本的な問題に当たってさ。

最近家に帰って考えるのは、今のこの生活のリズムを崩さずに、丁寧に生活を送り続けるってことと、最近ネットでやけにミソジニーVSミサンドリーの戦いを見かけるなということと、やっぱり人を好きになるには、今のこの自我の空洞化の問題が片付かなければならなくて、そのためには今の仕事を粛々とこなすほかないのだということとか。

だれか対象がいるわけではない。ただ漠然と、自分以外の人との付き合いかたを、まだ段取りの段階で決めかねているってこと。

誰かのことなんて、考えたことがない。

 

監督と話していると、ああこの人は本当に人が好きなんだなあと感じる瞬間があって、その瞬間裏返し的に今俺はこの人にすごく心の扉を閉ざしてるんだなあと実感した。

 

ってか、この人だけにではなく、誰に対しても俺はそうだろ。

 

心の扉って、どうやって開くの?

 (いやむしろ、こうも考えられるぞ。自分に対するコミュニケーションの期待値が上がっているだけであると。コミュニケーションが経験に応じて成長していくものなら、今の俺は年相応の自我だと。

>困った時は、まず前提を疑ってみて、ゲームから降りてみよう。そうすると新しい道が開けるかもしれない。

>しかしそれは本当に、「新しい道」なのだろうか?

>わからない。)END