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読書とレディオヘッド

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先週の日曜日、地元のファーストキッチンピース又吉の火花を読んだ。

芥川賞だなんだと言われて身構えていたが、王道の青春小説で、いい意味で裏切られました。

(又吉さんが芥川賞をとった月の文藝春秋を買っていて、読む機会を完全に逸していたのだ。つい先日「コンビニ人間」が同賞をとったので僕はまた文藝春秋を買いに走り、たまたま時間が取れたので読むことができた。そのつながりで、積ん読状態だった火花も読むかと思い至ったのだ。)

インタビューで又吉さんが中村文則さんが好きだと言及していて中村文則さんの受賞作土の中の子供も借りてくる(なんだかタイトルが暗闇のなかで子供みたいだなあと思う)

中村文則はAという短編集を読んだことがあるだけだがとても良かったので好きな作家だ。(短編を一冊読んだだけでは好きな作家とは言えない。なのでこれを機に他の長編も読んでみようか)

 

木曜日の代休に、西武新宿駅前のルノアールで「僕には世界がこう見えていた」を読んだ。これが本当に怖い。天才と狂気の境目は、罪悪感、や、疎外感という「ストッパー」を感じるか感じないかという部分なんだなと思う。周囲の環境の中に自分がいるという実感。この作者は「各人それぞれがそれぞれを中心に世界というものは回っているので、それに気づいたものだけがこの世界を思いのままにできる」と「実感」してしまったのだ。この域に至るのは相当なもんだよ。世間というストッパーはおいそれと外せない。

 

友人とウィクロスをしてから眠り、日曜日はひたすら何もしないように全力を傾けた。

鳥居みゆきのハッピーマンデーをブックオフで買ってきて見たかな。なぜ今鳥居みゆき

なのか?しかし彼女はすごい。本当に凄い。まるでガーリッシュナンバー2話で作画崩壊pvパートを任された松竹徳幸吉成鋼のようだ。周囲からの評価が全く追いついていないという点において。

 

この何もしない時間が重要なのだと思う。

圧倒的な空白から本来の読書や映画観賞などは生じて、それ以外ではただの疲労や抑圧を満たすためだけの消費になる。

この空白を現代社会では圧倒的にとりづらい。LINEとかやめねーかな?なんで分単位で連絡が来るんだよ?何割かの人間は、全てのことに意識を向けるようにはできてないのよ。金や人脈のことに興味がない人間だっているわけだよ。

 

なんだかなあ。

皆が違いを認め合て平和に暮らす「ズートピア」的価値観に世界が染まっていくはずなのなら、真っ先にそこに目を向けろよ

もはやマイノリティという理由だけで容易く皆の理解が得られる時代なのだから。

俺は「ゲーム」を降りるのだ。

皆が「何か一つの価値観」にずっと緊張してるとするだろ?その環境の中ではその能力の高い順に優劣が出来上がるわけだ。そこにいると俺は、その価値観に対してなんの執着も感じないから、圧倒的に負け続けて見たされない不安な状態が続くことになる。

が、そこでまあ生存の手段だと割り切ってその能力を意識してみると、今度は勝って上に上がる。しかしそこにはなんの達成感も満足もないし、敗者を足蹴にした後味の悪さだけが残る。皆はよくやったと褒めてくれるが、僕にはそれすらも空々しく映る。

だから、ゲームを降りて、「ゲームを降りた」という認識のもと負け続けて平気な顔をしているとする。すると俺に勝ったやつに安心という名の報酬が出ない。それは勝利じゃないからね。つまりその勝敗ってのは勝ったものと負けたものの相互作用でできてるわけだ。単に勝利者「だけ」がいるなんて道理はない。

そうしてずるずるとそいつらもこっち側の価値観に引き込んで行ってやろうかと画策をする。

 

無意識に、とりとめなく、抽象的に考える深夜の妄想である。

そもそもが勝負をしていないという前提に立てば安心など簡単に手に入る。

karma policeを聴きながら思ったことだ。

この芸術的なPVも、空白の時間がないと見られない。そのためには安心が必要です。

だからこういうことを考えたのであって。