理性というものが意外と強大で、時々自分が「本当に何をしたいかを抑圧させていること」を理性によって知らされないままいまの状況でとる「べき」行動を取ってしまっていることがある。

 

それと同じように、何かをある言葉で定義付けてしまうと、そのまま定義にひきずられて、自分の本当にしたいことができなくなってしまうこともある。

 

本当にしたいことをするために、有象無象の混沌とした現実を整理しようとして行う「定義付け」のはずが、そのショートカットは自らの意識の裡をあまりよく検分せずに行動してしまうという弊害も生じさせるのだ。

 

そして理性のジャミングを押しのけて「本当にしたいこと」に気づき、それをやろう(やったらこの苦しみから解放される)と思っても、理性は「本当はこんなことするべきじゃない」と耳元で静かに囁き続けてくる。全くと言って良いほど発散行為にならない。むしろ抑圧が募っていくだけだ。

 

こういうことが最近起きています。

 

まあ、自分がするべきではない(けど本当はやりたい)と思っていることを少しずつバレない程度にやっていって、だんだん自分の抑圧を緩めていくしかねーな。