公開日

納品が終わった。

 

やったー!ようやく寝られる。

 

午前9時頃に最寄駅に帰ってきて、近くのジョナサンでモーニングセットを頼んで、家に帰って風呂に入って歯を磨いてるところへエホバの証人の王国会館から布教の人が来る。適当に返答してチラシをポストに入れといてもらう。

寝て起きると辺りは暗くなっていて、寝ぼけた頭ですわ早朝かと思うが午後9時を過ぎている。

寝る前に風呂に入ったばかりだが、ずっと行きたいと思っていた近くの銭湯まで気晴らしに風呂に入りにいき、帰りにバーミヤンで酢豚とライスと餃子を頼み、食べ終わった頃になんだか漠然とした不満が自分の中にふつふつと湧いてくることに気づく。

抑圧したものを優先させてみようと自分の感情を操作してみるが、発散の方向がわからない。食欲でも睡眠欲でも制欲でも満たされない。youtubeダウンタウンのトークを聞いても満たされない。ただの麻薬的な一時しのぎだ。

絵を描くことってこんなに難しいことだろうか?

この欲望が自分の絵によって昇華されるのはわかるのだが、なんだかそんな気分にもなれない。

行き場のない不満だけがだんだん溜まっていく。

 

大勢の人でアニメを作っている最中、俺がいつもやりにくさを感じているのは、自分の絵を描ける、絵をうまいんだと内心思ってる自負を周囲の人に向けてしまったことへの恥ずかしさだ。さすがに無神経にドヤ顔だけしているわけには行かず、あ、俺今なんかすごいどやってんな・・・とあたかもそれはやっちゃいけないタブーを冒している自罰的不快感を感じることがたびたびある。

何ていうか例えば・・・「こっからここまでがまだチェックできてないんだけどさ」「あ、そこは何ていうか、一人でやってしまったっていうか・・・」(自慢してるふうにならないようにならないように...あーまずい、この表現まずいぞ)

「いややってしまったかどーかは知らないけどさ」

あ...いま○○さん俺の中の自己顕示的部分に不快感を感じてる...これ周囲の人の反感買うからやめたほうがいいんだよ、恥ずかしい...

ってな具合に。

 

いや、この欲望が画力で構成された縦社会で上に登っていくとき心が折れないため必要なものだってのはわかっているんだけど、日常を過ごしているとき常に理想や原理のことを考えてるわけにもいかんだろ?周囲の人の人間関係常に起こる、あとで家に帰って一人で考えてみたらそんなことにこだわってたの?と呆れたくなるようなとてもミクロな好悪の感情、相手を不快にさせてしまった、相手を楽しませることができたって悲しさや嬉しさの方に重点を置いてしまうことってあるじゃない。そういうバランスと自分を満足させるためのバランスをうまくとりながらやっていくのが現代の社会で自分が最大利益を上げることのできる方法だという結論にいつもなるんだけど。

 

絵描くのムズッ!そんでこの欲望を満たすのはどーしたらいいの?

また描き方がわからなくなってきたぞ...