いやねー

誰にも吐けない愚痴がどんどん溜まっていくってのは結構きついことだなあ(今更?)

最近ここ単なる不満や憤りのはけ口になってないか?

 

 

○○○○で会場抜け出して外でタバコ吸ってる間に考えたんんだけれど、

どっかに属している間、誰かが前にいるその瞬間、ぱりっとした緊張みたいなものが生まれ、抑うつが姿を消す。これが自分の社会的ポジションに対し責任を負っている状態であり、これを正常な状態だと自分は思っている。

 

 

一方で、絵を描いていたり、ストレスの息抜きに外でタバコなんか吸ってる間とかによくふっと不思議な感覚になる。この世の全てがどうでもよくなり、今まで責任を感じていたものやことに対して急に一切の執着が消えてアレっと思うことがよくある。

(どーでもいいじゃん、俺この会社辞めても最低限生き続けることはできるし。

このタスクが果たせなくても周囲の信頼を裏切ってもそれをいっさいがっさい自分の中で無視してなかったことにしたら別にダメージ負わないもんね。

 

 

この種のストレスはなんだろう?

「思い通りに」本能的な欲求に従えないことがこの世のストレスのつきつめたすべての原因であり、悩みというのは理性の「そうはいっても無理だよね」という妥協によってもたらされる。

 

どーでもいいという思い通りに生きられないことが瞬間的に厄介なストレスとなってのしかかってくる。

創作と現実の間にまつわるアンビバレントな苦しさ。

ガウスだかなんだかが「虚空に漂う妖精の影をつかもうと四苦八苦していると、授業の予鈴を知らせるチャイムが鳴る。その瞬間の、全く別の世界へと頭を切り替える苦しさは言語を絶する」なんて言ってたのがツイッターで流れてきたのをうろ覚えで覚えていて、あとで検索かけてもそれっぽい言葉が全くヒットしなかったからアバウトな記憶にもほどがあると思うんだけれど、でも見た瞬間のああなるほどなって納得感とか安心感だけは覚えていて、その間違った知識が今の俺を支える一つの柱になっていたりもするのでまあいいんじゃないかと思ったりもするが、そんな感じ。

 

これが健全な創作を続けていくことで解消されていくのだろうか?

 

考えてみてもわからないことは、とりあえずやってみてたくさん経験値を積むしか無い。

実践でトライアンドエラーを繰り返して理想に肉薄していくしか無いと思うのです。

 

 

とりあえず今はその価値観の転倒がとても怖い、コントロールできなくなりそうな不安がとても嫌だ。

なんとかしなければ。

たぶん、1年たったらなんとかなってると思うので、この1年ぐらいが勝負なのです。