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御愁傷様。

7月21日木曜日、今日も今日とて思った風に行かない1日。

しかしまあ、なかなか楽しめることもあった。頭の中にドーパミンがじわりと湧き出すあの独特の感触を久しぶりに味わった。

 

漫画でよく戦闘シーンとかで  ド  ク  ン  ッ  !   とか言って心臓が高鳴るシーンあるじゃん?昔絵を描いてた頃に描いてていい絵が出来そうな予感が出てきて「これを友達に見せればまた褒めてくれるんじゃね?」って(自分の厳しい審美眼を満足させて[しんびがん って発音すると伝わりづらいが漢字を見るとしっくりくるな、何故])思えるようになった時にはそーいう風な体験をしたもんだけど、そういえば最近とんと音沙汰がなかった。胸のら辺があつーくなってくるあれ。

ビターッと平常心。の、日々。

平常心ではないか。マイナスとゼロの間を浮遊する日々

 

興奮した経験っていうのが、思い出していると楽しいから何度も何度も思い返して頭の中で転がしていくうちに容易に自分の都合のいいように変質していって、次第に現実と全くかけ離れたものとして頭の中に残り続けてそういうことをやってのけた自分を生きがいとして過ごすようになるから、ささいな不幸に見舞われて、ほんの小さい小石で簡単に蹴つまずく。

 

躁転による不安。

 

まあ、よくあるよくある。

何度も繰り返してきたことだ。

 

そうして俺は、何度も繰り返し繰り返し足をすくわれてきた小石に必死で相対化を図る。

いいか?お前が今必死で守らなければいけないのはお前の目の前のそのクソみたいな生活なんだよ。目下重要なのが。クソみたいな現実であり、明日消化しないといけないタスクであり、維持しなければならない人間関係なんだって。

 

そこを外れて、どんなものが作れるっていうんだ?

 

日々の仕事のコントロールは目下順調にこなせており(様々な問題はあるが、その問題も含めコントロールできていることが重要なのだ。)その上での生活のコントロールも比較的しやすくなった。(閑話休題、いったい俺は何故 比較的、とか しかしまあ、とか なかなかとか、表現を緩和する副詞を多用する傾向があるんだ?→断定的な物言いを避けたいという思いがあり、それはまあ、物事には裏と表、AとB2通りの解釈があり、俺はたいていどちらの意見にも少なからず共感するところがあるので、どちらか一方の意見を取り反対側の意見を示された際、一方の意見に加担して、他方の意見を退けるための「感情的根拠」がないので責任を取れないという負い目があるからである。(ほら、「それはまあ」「少なからず」使った。))

 



…ってことを脳みそが新しい刺激を受けるたび、消化して行ったんじゃ仕事にも支障が出るって。閑話休題でなく完全に本文になってるし、大通りが脇道にジャックされちゃってる。どうも俺は様々なことを解決保留のままにしているんじゃないだろうか?能動性と不幸に対する耐性さえ手に入れたら一日中だって図書館にこもって、脳みその洗濯ができんのになあ。と虎視眈々とその日を待っている。自分の絵に対して過剰な期待をしてアイデンティティを任せすぎていては、絵を描くこと以外のことをしている間、常に不安と不快感に襲われ続けることになり、それは体と精神の健康に良くない。免疫力も低下する。

 

 

ほらな、上手く回っているように見えても、根本的には解決しないんだよ。

「健全な創作」の、ためって言ったよな、こうして社会に身を委ねるのを。

今日気づいたんだけどさ、「健全な創作」にも、「お前のアイデンティティを安定させる」って目的があるんじゃないのかい?

つまり俺は「普通に生きるために」→「普通に生きるふりをしてみて」→「そこそこ満足のいくものが作れて」→「普通に生きることができる」みたいにさ、

なんか一個かましてから辿り着こうとしてる?いやいや、ものが作れないとアイデンティティが安定しないんだもの。

 

今日は比較的安定しているみたいだけど。(躁転の不安感はあるけれど)

 

自尊心が安定して、自分に比較的胸を張れる日は、頭の中が空回りを始め、それまで送っていた生活のスピードペースの上でキュキュキュキュキュ!と甲高い音をたてて煙を上げながら回転数を上昇させていく。(回転数が上がりすぎると脳みその処理できる容量を超えた情報を処理することを期待して、そのためのモチヴェーションと現実の処理能力のバランスが崩れて現実に多大な被害を及ぼす。)

なんかいろいろうちの会社と作るべきアニメの理想なんてものにも考えが及ぶが、今日は別にさしせまって現実の邪魔にはならなかったのでそのまま泳がせておいた。



先輩がまどマギをみて、なんか面白いアニメない?って聞いてくるもんだからこのすばを勧めといた。

このすばにはね、空気系アニメを超えた普遍的な何かがあるんですよ。そうでないとDVD1万以上も売れるはずないもの。

EDが素晴らしくいい曲なんだけど、なんかくるりの三日月とメロディーがかぶってるっていうね。

毎クールごとに、素晴らしいと思ったアニメはブルーレイ買おうかな。

やっぱすごいアニメを作った人は尊敬するし、その凄さに対しての敬意の表し方。


と思って前期はカバネリのブルーレイ買った。完全生産限定盤、1万3000くらいしたがな。

0.5号影のつけ方の横に「2015年最新の作画方法です」って書いてあってなんか笑った。


なんだかリスペクトの対価をお金で表すってのは、なんにせよものが売れねーと何も始まらねーって資本主義根性に支配されているアニメ業界の皮肉って感じでなんだかな。

でもアニメーターが作りたいものを作ったら大抵ろくなもんができないっていうし、俺もその通りだと思う。

たいてい表現手段それ自体が目的になってしまって、中身のないものが出来上がるからだ。

いわゆる横文字の作画、サクガ、sakuga。とかいうもの。

 

 

話がそれるがキレッキレの演出をenshutsuと表記していいんじゃないかと思ったりする。マインド的には似通ってんだろ。京アニの三好一郎さん、石立太一さんとか、

新房昭之さんとか

佐藤順一さんとか?

(俺はあまり詳しくないのだ。)

 

 







話が一向に本題に入らないまま時間が来てしまった


7月22日 金曜日、会社にて

昨日徹夜の反動による過剰睡眠(10時間)のための頭痛により途中でパソコンを閉じて、終わりがないまま浮遊していた日記に、強制的なまとめだけ追記して明日が始まる。