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どれだけ複雑に見える現象もどんどん解きほぐしていくと、その先にどんな現象にも応用可能なきわめて単純なものが残るような気がしてならない。

作業中ずっとそのことを考えている。

 

つーか疲れる。今俺は疲れている。

言葉にしないとわからないくらい無意識的に疲れている。

うまく言葉を選んで言語化できない。

260円出して自販機でジュースを2本買った。それらを飲みながらこの文章を書いている。

すぐそこのコンビニまで歩いていけばもっと容量の多いジュースが150円で買えるのに。そんなことも考えられないくらいには疲れている。

 

なんだろう。チョット休んだらまたいつもみたいに回復すると思っていたのにな。

 

仕事から帰って、電気を消してからベッドに倒れこんだ。すぐに眠れると思ったのだ。

思い直して電池の落ちたケータイを充電してからまたベッドに倒れ込む。

これが畳の部屋に敷かれた敷布団だったらよかったのに。

電池が切れたかのように思考が停止して、次に起き上がった際にはその時の状況を追随できなくなっているほどに、無意になって横たわる。

そこには腰の高さくらいの窓が付いていて開けたら2階になっていたらいいのに。

したら夜中に白い手が張り付いていそうで怖いかな。

暗闇の中で携帯が生き返った音がする。

眠れなかった僕はそのまま転がってベッドから落ちて、ケータイのところまで這っていく。コードを伸ばしてベッドまで戻ると暗がりで寝転がりながらくだらないまとめサイトなんか見て、深夜の馬鹿力の空脳のコーナーをまとめたものをyoutubeで流しながら暗闇の世界に戻る。しばらくきいて、うんざりしてきてケータイを切り、ベッドから離れたところに放って再び目を閉じる。

しょうがっこに上がった頃に買ってもらった勉強机の、いろいろ付いていたガジェットを取り除いてシンプルに基礎部分だけになった机をまだ使っているが、これを窓から放り出してもっと趣のある木製の机に変わっていたらいいのに。

携帯電話がこの世から死滅して連絡手段は便箋と葉書と万年筆と電報と、錆びた壁掛け電話だけになればいいのに。

うちの近くに静かに流れる中くらいの川とささやかな土手があれば、7月の思いもよらぬ日の夕方で街のど真ん中の公園でどでかい花火が上がって、川沿いを歩いてみんなが浴衣姿でその花火を見に行けばいいのに。子供たちが綿あめやりんご飴や風車を手に手に我先にと駆けていけばいいのに。

障子を隔てた向こう側にはこんな偽物のフローリングの床ではなくって、頑丈な木でできた質素でこぢんまりとした廊下に続いていて、そこでは消化するタスクも神経をすり減らす同僚も抹消されていればいいのに。

昔からよく行く祖母の家が何代も何代も続いて大きくなればいいのに。

祖母の田舎の方の家に付き合っている彼女と住まわせてもらってその土地の住人になれたらいいのに。

くだらない親戚づきあいの毎度毎度の行事も、案外いいもんなのかもしれないな。(と考えてみるがまあじっさいやってみると2,3回もやれば飽きてめんどくさいだけなんだろう。)

今日あったことをまとめなきゃ、

まとめなきゃまとめなきゃ。

 

けれど、眠い。

だけど、何か意味のあることに辿り着きそうなんだ。

 

抑圧されたものについて考えた。

作業中、誰かが話しているのを耳にすると妙にイライラしないか?

 

 

って7月4日に考えてたみたい。

めっちゃ疲れてるやんけ俺。