タイトル

今日は谷崎潤一郎の春琴抄を読んでいた。

どうして谷崎へ走ったんだったっけ、作業中ラジオで聞いてた平野啓一郎が語ってたんだったっけか。

忘れた。とにかく、内面の声に従っただけだ。

 

夜が更けた頃に、また持病であるところの憂鬱の発作が起きる。目的がないと憂鬱さによく「追いつかれる」のだった…

たらたらと思考を垂れ流して、いま直面しようとしている課題、超えようとしているハードルの価値を相対化してしまう。

「あれ?俺いま必死こいてこれやろうとしてるけれど、そもそももっと長いスパンで考えたら、こんな些細な達成や、それに付随する高揚感なんてぜんっぜん意味ないんじゃ.....」

なーんてことに気付き始めるともう遅いぞ。

 

意味はあるのだ。

 

だって人はみんな、1日のうちに起こるほんの些細な気分の浮き沈みに固執しながら、そのたびに一喜一憂して生きているのだから。

そもそもそういうもんだから。

けれども身体感覚としてそうは思えなくなってしまう。

 

・・・じゃあ「意味」ってなんなんだ?

自分の人生にとって意味のあるものが自分の脳内で排出される快楽物質の多寡におおきく依存するのであれば、愛着障害によって報酬系のブッ壊れた、恒常的に憂鬱さを感じ取っている僕の脳にとって、人生の8割以上は意味のないことになってしまうぞ。

食欲と性欲と睡眠欲が満たされたときを除いて。

(器量の良くない人間関係を働いてしまって憂鬱さに加速がかかってしまったときは、自分はその障害のせいで精神が不安定状態になっているのだから妙なところに依存してしまったり他人のことを考えるそもそものキャパシティが目減りしているという「状態」なだけってわけで、むしろそれが良くないことだと苦しむってことはちゃんとあるべき「モラル」は知っているのだと考えることでそのブーストに歯止めをかけ精神の健全なる動的平衡を保つ術はもう身につけてはいるけれど)

 

まあこれも明日会社に行けばまた正常に流れ出すんだろうけど

 

と、日曜の夜に書いて下書き保存。知らないうちに眠ってしまった。

月曜日の夜である。

 

日曜は池袋へサンクリに行ったのだった。同人誌だよ同人誌。買いに行ったんだよ。

あーまあこれもさ、自身で発散できない欲望を叶える代替行為であることくらいわかってんだけどさ、ちょうど友達も欲しいヤツあったみたいだし、ちょうどいいかなって感じ。

 

なんだかな、電車待ってるときいろいろ考えついたんだけど、なんか気分とか感覚で記憶してっからそんな気分じゃないときはすぐに忘れちゃうな。

あーあ

とりあえず仕事の内容をコントロールしようという果敢なチャレンジはいまも続いていて、なんだか今週は忙しくないし、明日のことを考えてもちっとも憂鬱な気分にならないので、おそらく上手くいっているのだろう、ひとまずは。

 

散文調にはなるが

 

「ストレッチ」という漫画を買って、(全4巻)「この漫画が描こうとしてるのはユーフォニアムと同じだ!」と思って、「アオとハルと同じだ!」と思って、「日曜日に自殺と同じだ!」と思って、自分の好きな物語の傾向が浮き彫りになったようでしばし赤面する。

けれども意外にも、心は普通を保っている。

 

どのお話も切実な形で他者を欲しているのだ。

いやあ、たまこラブストーリーを見て二進も三進もいかなくなって他頃に比べりゃ、ずいぶんと進歩したもんだとは思うよ。これも俗に言う相対化ってヤツだね。

相対化。

なにか特定の事柄に対し深く意味を掘り下げて、過剰な偏愛を抱こうとする心の働きを止めるのに、この方法が一番効率がいいのだ。

同僚との話た記憶を、所詮は一過性のものだと捉えることができるし、

上司からの評価も、回復可能なのだと分かるし。

日常の一瞬一瞬に過剰に意味を見出していると、それがひいては明日からの自己の行動を規制する心理的な枷になるのだから。

いまお前が過ごしているその「一瞬」は、あまりそこで足踏みしながら留まる必要のない、思ったほどに価値のないものなんだよ。

そ子に描かれている関係性は確かに美しいけどさぁ、

美しいけどねぇ...

「ここ」がわからない奴らを憎しみをたたえた目で見下していたりもしたけどねー...

日常的な相対化が行われると、あれだけ心の重大な位置を占めていた隣人からの評価にもなんら意味を見出さなくなり、行動の規制が解除され、魂が大きく飛躍する。

おお、昔からこれを求めていたんじゃないのだろうか。あれだけネカフェに泊まり込んだり、大学の教室で夜を明かしたり、深夜の公園のベンチで寝たり、何かから自由になりたがっていたのだけれど、それがなんなのかがわからなくって、常に漠然とした不満と苛立ちがあった。何かから逃げようとしていろいろと破壊的な行動をとってはいたのだがその何かってこれなんじゃないだろうか

23年かけてようやくたどり着いたのか。いや14歳の頃からだから9年かな。

以外と長かったな。

コントロール、コントロール。生活の。

その末に目的は達成される、はずである。

 

 

 

それにしても谷崎はハマりそうである。沙村広明の中に彼のイズムを感じるんだよ。沙村広明好きだったしさ。なるほど元ネタこれだったのかって感じ。

痴人の愛を早く読みたい。