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トラウマについて書こうと思う。

トラウマとは、「記述不可能な虚無」のことで、自分にどうやらそんなご大層な経験があるらしい。大抵、外側にあるものの方が交渉で、自分の中にある感情や考えは未成熟では低俗なものと評価しまうものだ。下品で、情けなく、それゆえに卑下してしまうものだ。

虐待された傷跡が残っている。背中に親からされた根性焼きの生々しい痕跡が残っている。ネグレクトされてリストカットした跡がある。親が不仲でゲームやアニメにどっぷりと依存して暮らした、などなど、一番初めに出てくるのが親の愛情不足による幼児期のトラウマだろう。これが鉄板。(当人にとっては切迫した感情なので鉄板などというのはいささか非礼かもだが)僕にはそういうトラウマはなく、親同士の愛情を一身に受けて育った。そうだな、強いて言えば愛情過多気味?そちらの方もあとで愛着障害の原因となったりするようだが、なんいせよ親とトラウマにはあまり直接的な関係がなくて自意識というものを発見した時から、「他者」(コントロールできないよそもの)との付き合い方に戸惑うようになった。

「他者」とうまくつきあえない、親からではなく、「他者」からの愛情不足、のトラウマ。他人が少しでも(自分の影響による)不愉快な気持ちを感じてしまうと、脳髄からつま先まで電流が走ったように凍りつき、足元の地面が揺らぎ、まともに考えることができなくなるほど混乱してしまう。張り付いたような笑顔の奥の瞳は笑っていなくて、ただただ病的なほどの恥と、責任感による自己嫌悪と、何か献身的な贖罪をしなければならないという焦りで頭がいっぱいになる。本当にいっぱいなのだ。100%いっぱいまで全てその感情を処理するのに容量を割いてしまう(混乱状態とはそういうものだ)惨めったらしくヘラヘラ笑い、こんなセリフを吐く「どうしたら許してくれる?」なんでもやるだろう、大抵なんでも。

鞄だって持ったし、お金も渡した。漫画を買ってきてやった。自ら進んでやったのだ。

恐ろしい。何がそんなに強かったんだ?

しかし、強かった、強烈な恐怖感があった。なぜかはわからん、わかってたら今こんな苦労はしてないわ。

でも殴られはしなかった、それをされていたらもうちょっとマシな奴になってたんじゃないかと思う。しかし、執拗に精神だけを貪られた。

今になってこうも思うが、もしかすると加害者なんて存在しなかったんじゃないだろうか? (こう考えてしまうところが、お人好しなんだよお前という気もするが)

僕は僕の性格を持て余していて、同じように相手も持て余していた。「お前急に怒るからどこでやめたらいいんかわからん」なんて言われたっけ、相手にとっちゃ、「え?こんな遅いボールも受け止められないの?」といったところか。加減を知らないんだ、中学生だし、情報の少ない田舎だったもの。

加えて、一番の問題点を記さなければならない。俺は俺をいじめてきた当人をまったく憎んでいない。復讐したいとか、あいつがいなければああじゃなかったとか、どうしてもそう思えない。非常に厄介な性格だ。思わなければならないと焦るところが、本当にそう思わない証拠なのだろう。

教師が介入し和解した(という名目で疎遠にさせて接触を断たれた)あとも、機会があれば普通に話しかけた。向こうは一度も話しかけてはこなかった。自発的にじゃない、あくまで事務会話だ。けれど無視しても問題はなかったと言われればそれまでだし、話しかけようとした瞬間の期待「もしもこのまま仲良くなれたらいいな」という淡い期待があったことは否定できない。

一般的に考えるととてもおかしい(特に今の競争社会で生きていると本当におかしい考え方のように感じる)なぜおれはおれを虐げた人間を憎むことができないのか

 

ここで先日出た一つの結論を提示よう。「勝利することが大前提で、弱者に対するシンパシーはその前提が達成されたうえで発揮できる。」ここが一つの落とし所だと思う。

自分のこともやりたいし、他人も助けたいなんて虫がいい発想の落とし所だ。他人に勝利した上で他人を勝利させたいのなら、原意的に勝利させたい他人は競争相手からは選べない。

これはある意味での「才能」だとも思う。今はまだ社会的に未熟で、その「才能」が十分に発揮されないのだ。

清貧の少女なんてものも、(5、6人の弟や妹を養いつつ生活をしているパン売りの薄幸の少女、自分が食うや食わずやといったじゅおたいなのに隣人や親しい人にもパンを分け与え種にお祈りを欠かさないからくりサーカスの15巻に出てくフランシーヌのように)本当はいない、自分が死にそうだったならば、まず自分が生きることを考えるはずだ。

自分が死んでもいいので、このパンを隣の人に分けてください、なんて人を考えるには、今の自分はあまりに未発達すぎる。