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関係について考えた

先輩との関係について考えた。

 

 朝、起きたらもう時間がない。昨日いつの間にか眠ってしまったようだ。

半分起こしたベッドで寝たので肩と背中が痛い。傍に画面の消えたPCと、空っぽの皿。

  そんなわけで、最悪の気分で朝から作業。こんな日もたまにはある。気分が乗らないまま手を動かす。終わる予感は全く感じないが、力押しで。とにかく物事が進んではいく。そんなわけで、どうにかこうにか1つの仕事が片付くと、ゆるやかに気分が上向きになってくる。

 気分が上を向くと、様々な考えが浮かんでは消える。たとえば先輩との関係について。

 今の作業場で同輩は自分一人だ。1コ上の先輩は何人かいて、ちょうど4月に1コ下の後輩も数名入ってきた。そんなわけで、自分一人で数人の後輩を使って作業を終わらせなければならない、これが実にに変な感じだ。

 かつては仕事といえば先輩を頼ったり、先輩の仕事を手伝ったりしていた。当然ながら作業効率は先輩の方が高いので、そこには必然的に組織における上下関係というものが発生する。しかし、その先輩は自分と同い年である。年齢における差がなければそこには交友的な関係も生まれるわけで、これまでは両者のバランスをうまいこととりつつやってきた。(やれてなかったかもしれないが。)

 そこに新人が入ってきて、それなりに作業も覚えて、今度は自分が新人と一緒に仕事を進める立場になってしまう。自分は先輩と作業をすることがあまりなくなり、後輩に向かってアレコレ指図する。当然の流れでかつての先輩との距離はなんとなく開くようになり、なんというか、この関係は未だどこかに安定することなく、漂っている。

 教えられていたものが教える立場に成ったことで、なんとなく、以前のような先輩との関係ではいられなくなっている気がする。それが先輩と会話するときに、なんとなくの歯がゆさを生んでいる。

 いや別に、大したことじゃないんだろ?...って気もする。誰かに頼っていた者が、自分で責任を負い被さらなきゃいけなくなって戸惑ってるってだけの話だろ?...と。歯がゆさを感じることで気まずくなるその「気まずさ」は、キャパオーバーしてる自分の感情だけの話であって、相手そのものと何の関係もない。他人の発言の源を鑑みてみれば、負の感情の類は消化できるって、前に思いついただろ?

 ...でも、そういう問題じゃないんだな。先輩との関係に執心しすぎるのは良くないんだな。「この瞬間」の関係や会話に俺は100パーセントの満足感を期待してるだろ?

そんなのはただの「依存」だよ。友人関係って、そんな一歩も前へ進まないものでもないはずだ。ちょっと考えて先の方に満足できそうな目安が経てば、かすかな不満も問題じゃないんだよ。と、自分で自分を戒める。まあ、こんなのは俺の世界では良くあることで、他人にとっちゃ気にならない些細な愛情の欠如も、俺にとっては大問題らしい。

 

  愛情について考える。

というわけで、その大問題な愛情は、ときに深刻な問題となって俺に襲いかかる。

人は、なぜ心の拠り所を必要とするのか?

社会動物である人間に備わっている本能なのか?

自分を自分と信じるために、一定量の他人からの愛情(承認)というものを根拠とする必要がある。 孤独というのは人を犯して蝕むのだ。

愛情がないと、魂が汚れる。生命力が弱くなる。特に私はそれが顕著なので、これから先に起こるであろう愛情の不足を恐怖して、いまここの愛情に執着するのだ。

 ...というわけで、原因がわかったんなら、次はここから行動できるよね。

 いちいちこんなことを念頭に置きながら会話する。ハイコンテクストなコミュニケーション。

  

 孤独について考える。

対照的に。

ストレッチ、という漫画を読んだ。こういう漫画に弱いらしい。

100年の孤独、という本をamazonで買った。まだ手はつけていない。

「道」という映画を見たことがある。ジェルソミーナを失い一人になったザンパノは最後人気のない海岸で慟哭する。

 このように(どのように?)心を蝕む孤独というのは人類にとって大問題だ。だからこれは本能なのかという疑問が湧いてくるのだ。 食って寝てセックスして、フィジカルな命をつなぎとめるのと同様、誰かと関係を保って、メンタルな命の面倒も見てやらないといけないのだ。思うに肉体と精神は同価値であり、多くの人はこのことに気づかないでやっていけるので見過ごされがちだ。しかし俺にとっては、少なくとも肉体が死ぬことは日本で暮らしてる以上は問題がないはずなので、メンタルが死なないよう、栄養をしっかり摂ることを、あえて意識しなければならないのである。