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怖いのを振り返った

 「淵の王」を、読んだ。すべての発端はここからだ。

 

 舞城王太郎の「淵の王」の感想を口語的に表現すると「最近の優しい舞城の感じあんじゃん、あれを突き詰めて一段超えた感じ。なんか最近の日常回帰的作風を『ああ舞城そっちのほう行っちゃうのかー』と、これはこれで楽しみつつ、でもなんとなく残念がっていたわけだけども、そっから一周回って元の場所に、レベル一桁上げて戻ってきた感じ」とうことで、やけに素晴らしい小説を読んだなと久しぶりに感動していた。

  それを機に舞城王太郎の、読んでなかった最近の本を調べ始める。

  コールドスナップ、は1年ほど前書店で見かけたから、「淵の王」と一緒に図書館で借りてきた「軋む心」(これは舞城ではない)を読んだ後買うか・・・テーマ的にも似通ってるし。

あと読んでないのは・・・深夜百太郎?へぇ、つツイッター文学賞なんてもの獲ったのかぁ、次はこれ読まないと・・・てな感じで(しかしこれは嘘で、ツイッター文学賞を獲ったと知ったのはそう思い始めてからだいぶ経った後だったのだが)深夜百太郎を勤め先の近くの図書館で探し始める。しかし、貸し出し中のためあえなく撤退。家の近くの図書館も貸し出し中で、おまけに予約が8人も入っている。予約してでもいいからのんびり読めるの待つか〜♪なんて気楽に構えていた私はとうとう書店で買うという選択を迫られる。ハードカバーで二冊あんだよな・・・

 そんな時、調べてみるとどうやらこの小説はtwitterで連載されていたことがわかり、アカウントを検索してみるとヒット、内容が全て無料で読めることが発覚する。昼食を食べに行きつつ待ち時間の間も店内でスマホの上の活字を貪っていたわけだけども、どうもこれ、短編とは言いつつも、いちいち過去のツイートを遡るのが面倒臭すぎる!

 ってなって、そこでまたなんとかする方法を調べてみて、twitterの投稿を過去から順に表示させる「ふりかえったー」の存在に行き着く。

  そして私は休憩時間に、電車の中で、道を歩きながら、その「ふりかえったー」を駆使して(こちらも素晴らしい)深夜百太郎を堪能していたわけだけども、家に帰ってPCで読もうと思い立ち、PCを立ち上げ、「ふりかえったー」を検索し、アカウント名を入れるところまで行ってから、ふと自分のアカウントを検索してみようかなどと考える。なにせふりかえったーの検索窓の下にはなんの親切設計かは知らないが、それまでフォローしたフォロワー一覧が表示されるようにできていて、そのトップには自分のアカウントが出てくるのだ。基本的には、自分の過去のツイートを見るのはあまり気が進まない。痛いし、怖いし、なにより依存してしまいそうで、恥ずべき行為だと思っている。 しかしその時は何かを確かめないといけないという直感が働いて、私は自分のアカウントをクリックしてしまう。

 そして、twitter本来の表示機能の限界を超えた過去のツイートの全て表示され、私はそれを1時間かけて全て読んでしまう。

 全てのツイートをたどるのに1時間というのはむしろ短い部類に入るのかもしれないが、確認のために記しておくと私はtwitterを始めて1980日だから5年と155日。その間に2517件のツイートをしているので1日に1.27回呟いている計算になるわけで・・・比較対象がないので、多いか少ないのかはわからない。しかし全てを読んで分かったことは、かつての私はとんでもなく情緒不安定な学生で、そしていまではもう、絶対にそうはなりっこないということだ。

 言葉で話すと、立場とか状況とか雰囲気とかの言外のニュアンスに流されすぎて感覚をダイレクトに伝えることができないという事態も、なぜかtwitter上ではスムーズに伝えることができて、しかも言葉を選ぶ必要なく「お気に入り」ボタンが押されれば、誰かが私のツイートを「肯定」してくれたという事実だけが残り、私はそんな状況に何度か助けられてきた気がする。しかしあるときから私はだんだんツイッターに書き込む回数が減って行き、最後には全く書き込まなくなった。だから私のアカウントは半年前から止まったままだ。周りの環境が忙しいせいでもあったし、ちょうど仕事が楽しくなってきた時期だったし、なによりツイッターのお気に入り機能に依存してしまいそうで怖かったのだ。だからツイッターをやめた。依存先は生身の人間か、自分の経験か、せいぜい物語に求めるべきだ、と思って。

 あの頃に比べて、私は舞城王太郎にかぎらずさらにたくさんの本を読んだし、たくさんの映画も見た。新しい人間関係も築けたし、ありがたいことにそこで必要とされてもらっているって実感もある。こう考えれば心がこう働いて、そうすると体が動いて状況が動く、というやり方も編み出したし、誰彼構わず恨まなくなった。きっとこれからもそうするだろうし、そうするたびに状況はどんどん良くなっていくだろう。そう結論付けて私は自分のツイッターを閉じるけれども、そこにいる過去の私は、今の私の中にもちゃんといる。

 さて何をやろうか、と思って、まさか何をやろうかと思える日が来るとはね、と自嘲する。あーあ、やっぱりツイッターは怖い。でも今の私は、怖がって何かを出来ないことの方が怖いと思っている。

 そしてさらに、私のこれまでしたどんな経験よりも、深夜百太郎が一番怖いのでありました。