寒いで御座いますね

まるで棺桶みたいな形をしたエレベーターが僕と母親の前に止まって、ガシャンガシャンと壮絶な金属音を立てながら、6重7重にも重なった扉が開く。これに乗って降りようやあと急かす母親に、階段で行こうと反対する僕。そんな夢。

これは何か現実を表象しているのだろうか?分からない。

非モテとか言って結構スペック高いと思うよ星野源

新年早々、TVを着けたら逃げ恥の全話放送をやっていたので作業をしながら最終回まで見てしまう。家族が吉本を見に言ってしまったので、静かになった家で石油ストーブで暖まりながら、猫と二人でだらだらとloを切る。

 

 

 逃げ恥って、いかにも草食系になった現代の男の子や恋愛に奥手なちょいオタらを取り込んで、恋の素晴らしさ美味しさをとうとうと説いてはいるように見えるが、ああいう風に上手く進めるためには実はとっても高度なリテラシーが要求されているような気がしてならない。

 

まあ、あの二人が結婚するか否かで最終的にかかる年収を試算して出したりとか、ボランティアの集まりに対し労働時間の対価を要求したりとか、いろいろ面倒臭いやつだってのはそもそもあるんだけどさあ

 

ドラマで話題になってる愛情搾取や家事分担や、トレンディな問題意識を真正面からしかもエンターテイメントでやってのけて、そこはすごく興味深く見ていたんだけど、そういうスタートラインにすら立てない、公的な意識を持つことができない、本当に「どうしようもない奴ら」っていうのは存在するような気がするんだよなあ

それをそういう人たちにも向けてマイルドに「君も恋愛できるよ」って語るのは、いかにもうまい話で騙しているような気がしてモヤモヤ

 

 でも「君の名は」も見て、キャッチーな演出って大事なんだなって思ったよ。ガッキーがさあ、急に妄想入って、可愛すぎる件について〜っとか何とか叫び出した(雑なアニメで!)ときは本当にどうしようかと思ったもん。でもそっちの方が、圧倒的なインパクトが。覚えるし、面白くても、寒くてもどのみちゲラゲラ笑えるし。あくまで「適切な」分量で。

 

やっぱり君の名はすごい、こちらも見ただけで綺麗❗️とわかる「分かりやすさ」綺麗綺麗本当に綺麗、三葉をぶっ殺しに来るはずの彗星を見て死にそうなくらいに感動する。沖浦パートの手足の曲がり具合ほんと好き。ソフトでコマ送りしながら、じっくり見たい。

しかし、どこまでがセルかもうわからんね

撮影会社は何処なんだろう、短縮スタッフロールで分からなかった。

 

 やっぱり恋愛映画は好きなんだなあ
それと同じくらい恋愛「できなさ」(まあ、恋愛に限らず何かを達成「できなさ」)をかいた映画も好きなんだなあとか思う

 

 

どうにもならないことを、どうにかしようとすることを青春っていうのではないか

とんでもない混乱の渦中に放り出されて、それがどうやら自意識をめぐる問題であることを知ってから幾許の年数が経ち、振り返って考えてみるに、どうやら自分はその種の問題から解放されつつあることを知る。

 

○話がどうにか納品できて、いろいろあったがなんだかんだ、それなりに満足のいく出来になって気持ちが良い。

○話もなんとかなりそうで、それが終わると○○の話も出来る。

 

現実の問題が、それなりに対処可能になったことが影響しているのだろうか?

対処可能になる過程の中で、何か変化があったのだろうか

 

 

○○○○の○○話の出来を見て、少年の心に火が熾る。

 

この街を、歩けば〜、

斉藤和義の曲をitunesでダウンロードする。夜道を歩いて帰りながら、イヤホンジャックから流れてくるメロディーに身を任せ、昂ぶる感情にシンクロさせて悦に入る。

 

ずっと好きだったんだぜ、相変わらず綺麗だな

ほんと好きだったんだぜ、ついに言い出せなかったけど

 

でも、今度はそれをできる、という確信が、今の心を支えている。そうじゃないと、最後まで持っていない。こんな非生産的な事!

「誰かがやらないといけないけど、別に俺じゃなくても良いんじゃないの」という甘い誘惑は、しかしどちらが正しいのかが最後までわからない。

周りの人々は、僕を置いてどんどん先へ行く。

それに対して嫉妬する事なく、素直にすごいなと思うようになる。

最近はリテイク作業にすべての力を捧げるように絵を描かない。

こういう状態が影響を与えているのかは、終わってみるまでわからない。

予測できる行動をくそみたいだと思うようになる。安定を得るために変化を恐れるのを本当に馬鹿らしいと考えるようになる。

恨みをためているんだろうきっと、怒りのエネルギーをためているに違いない。

付き合うよ最後まで。俺の持ってる話数はな。

お前らが悪いんだからな、お前らのせいだからな。

分かってるのか、お前らのせいだからな。

 

それはしかし、終わってみるまで、わからない。

 

絶対に上手くなってやるからな!!!!!見てろよお前ら!!!!お前らがくだらないと思っているものが、どれだけすごいか教えてやる!!!!!絶対にだ!!!絶対に!!!

血の涙。

 

ライナスの毛布

○○の●●●●●できょうも飲む。やはりストレスが溜まっているのだ。ビールがうまい。焼酎を飲んだら変に酔う。昨日の日記はウソだ、やはり僕は相当怒っている。ただ、噴出の仕方がわからないだけだ。こんなものが、適正な仕事なわけがない、頼まれればはいはいやっているけど、自分でコントロールできないこの量が、真っ当な仕事なわけがない、正気な仕事なわけがない。昨日はただ、聞き役だったから、知らないうちに自分がその役としてはまり込んでいただけだったのだ。物分かりだけよくて、現状を維持することしかできないただの阿呆に成り下がっていただけなのだ。

 

元々の担当製作じゃない人に、こんなこと言うのもあれだよなあと思い、今日も僕は殺人的なリテイクを持ってくる元凶の人と敵対しない。元々は彼の仕事じゃなかったはずだ。多分この判断は正しくて、僕は別にもっと怒りを噴出させるべき点が他にあるはずで、そこがわからない。これは自意識の問題であり、創造性が損なわれる問題であり、性格の問題であり、又僕は内側に理由を探して、外側にあるはずの元凶と対立しようとしない。

 

 

このままではいけない、もっとちゃんとしなければ、と言う思いが、無駄に終わることを知っている。毎回誓いを立てるけど、それは日常に回収されて、ごくありふれたものになることを知っている。なあなあではいけない、明日、死ぬかもしれないという覚悟で全力で日々を過ごすには、僕の心は脆弱すぎる。そうして、変革が見込めないような気分になって、勝手に見通しを立てている。

 

 

しかしそれでも、まだ僕の脳は柔らかくて、心もまだまだ変化できるほど青くって、

まだ遅いなんてことはないとも思うのだ。

この状況の最適解に、心の温度が落ち着くだけの、可塑性はまだまだのこっちゃいる

 

 

 https://twitter.com/chounamoul/status/935054386509725697

 この種の問題はずっと僕の頭の中で残り続けている。

トランプ大統領が当選した日に、あずまんがtwitterでつぶやいていた。

マイノリティの意見がそこかしこから飛んでくるようになり、むしろそれは全体の意思決定に致命的な悪影響を及ぼしている。

要はグダグダ言ってないで足どけろよ。お前の一時的な感情の機微なぞどうだって良いのだ、馬鹿!

 

 

バファリンとレッドブル

✳︎西武線の聞いたことのない駅まで行って、東京に出て来た友人と会った。

久しぶりに見る友人は、1年以上、電話で耳にしていた声のイメイジや、過去の記憶の、美化された印象とまるで変わって、とっても痩せていて驚いた。

噛み合わせの治療をしてるんだ、と、笑って見せて、歯に巻かれた矯正器具を見せつけられる。パン屋であんパンを食べて、ダイエットしてるのにパンなんか食っていいのかよと笑う。何も変わらない、なんだか懐かしい気持ちになった。

  良いアニメ会社を紹介してやりたいとの思いから、

「バイブリーアニメーションは18マンだ、エイトビットは17マンだ、しかも社保付き」

「最近は業界が変わって来ている、皆が定時で来て定時で帰る。ザ、アニメーターだともいうべき殺人労働は無くなったのだ!」

ここぞとばかり、改善点をアピールする。

最近の業界事情はこうなのだ(と、いう体でのイメージ操作をして帰る)

 

 

✳︎はてなブログからのお知らせ、1年前の記事を振り返ってみよう♪

などというフザケたメールが届いて、酔った頭でアクセスする。

1年が立って、俺って何か変わったのだろうか?ちゃんと画力は上がっているのだろうか?ひとしきり読んで、やはり焦りを感じていることに気づく。

やっぱりな、フザケンナ、しょーがねーだろバ〜カ

しかし、突破口は見えている。やり方もわかっている。

あとはやるだけだ。

 

ウシシ、見てろよお前ら〜

 

 

✳︎珍しい人との飲み会。無礼講で、また例のような話。

さんざ言われた事だ、ここでは書くまい。

あの人は怒っている、この人も怒っている。俺には怒りの感情がないのかな?

1年前のブログと同じだ、俺って怒ってない。

ただ、イライラはする、変なところで怒る。皆が怒るようなところで怒ってない

優しいよねとか言われる、オイオイオイ

僕がきちんと怒れるようになるための練習台なのではないかしら、

あと興味の磨耗して消え失せた仕事でも、心を殺したままテキパキとこなせるか

っていう

 

で?っていう。

 

 やらなければならない仕事、と、やりたい趣味、とを一致させて今まで仕事をして来た結果、やりたくないことは、やりたくないから結果怒りが発生しないのではないかしら

やらなければならないことを、やらなければならない(のに進まない)から「怒る」

というシステムが頭の中に存在しないのではないかしら

俺はそれくらいでちょうどいいと思うんだよ、じゃなかったら今すぐ同人かけるだろって話よ。

言い聞かせ半分、マジが半分

 

ちょっと待て、やらなければならない仕事があるから、やりたいことができない、が抜けてるぞ。

イライラするぞ。

 

 

✳︎名探偵ホームズの絵コンテを読むことも怒りのせい

大逆転裁判をやることも

大いなる遺産を見ることも

上野のストリップショーを見に行くことも

芳垣祐介展に行くことも

プリンセス・プリンシパルを見ることも

終末のイゼッタを見ることも

ジ・アート・オブ・シンゴジラを買うことも

映像の原則を読むことも

オリエント急行殺人事件を読むことも

仕事をサボってコミティアに行くことも

外に出せば良い再動仕カットを自分でやることも

日曜日に、狂ったように絵を描くことも

日常を仔細に観察することも

 

全部が怒りのせい

ぷしゅ〜☠️

水曜日のダウンタウンが心のオアシス。

本当に、あの番組を作っている人に助けられていると実感している日々。

このていたらく

 

 

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ウワアン、一体。

俺は何をやっているのだろう。

 

シンゴジラってさ、3.11のメタファーなんだよね、と、

母親にしたり顔で説明。

何も知らない母はそういう見立てもありそうだと得心した様子。

しかし、俺は中学の時からこんなことばかり話している気がする。

またいつものことか、と

母には軽くあしらわれていたのかもしれない。

 

 

 

喫煙所は色々な人が来るから気を遣う。

はじめに話していた人よりも偉い人が来て、俺はとたんにそちらとばかり話してしまう。

はじめに話していた人の気分は如何程だろうか。

 

さらにまた偉い人が入って来て、僕は途端にそちらに気をとられる。談笑しつつ、楽しいふうの雰囲気。

さっきまで話していた人との、楽しい空気はどこかへ消え去ってしまったのだろうか。

 

一番偉い人が出て行って、やはり空気はきれいに霧散していたのだと気づく。重ーい沈黙。

お疲れ様です、と、小さく言って、外へ出る。

暴れ出したい、もどかしさだけが残る。

 

 

 

 

景気の悪い話が続いて、何々がダメで云々と言ったような愚痴のような会話ばかりしている気がして、僕はわざと明るい話題しか話さなくなる。

目下の仕事を終わらせるには、そういう暗い話を進めていかなければならないのに。

したいことを話して、感動したことを話して、最近見たクソ映画のディスを面白おかしく語って、

最近おきた会社の人の、おもしろかった出来事や行動を笑いながら話す。

ぐちぐち小言を言われそうになっても、わざと明るく返事をして、問題解決への最短ルート検索を頭の中で開始する。

自分の自由を守るためだ。

 

最終防衛ラインを簡単に突破され、信じていた(信じようとしていた)外注設計の防波堤はあまりに薄く、首相や防衛大臣はまるであてになんないし、俺の頑張りを評価しろと騒ぎ立てる始末。

このていたらく(この言い回しが気に入っている)

 

 

 

 

まわりと協調するだとか孤独が怖いとか、ご立派なことをさんざ考えていたはずなんだが、これも御多分に漏れず相対化され、自由意志と能動性が導き出される。

あと情熱と。

 

 

ドロドロの劣等感と爆発的な憎悪と、訳も分からず喚き続ける狂気と狂信。