なぜ

社会を回すことよりも、自分の楽しむことを優先させようと考えているのに、だんだん不安や憂鬱がたまって行き、生活がすっぽり抜け落ちたようになるのだろう?

あれだけ大切に考えてた隣人とのコミュニケイションなんてさらさらやる気にならず、雑な生き方を推進してしまう始末。

土曜日、会社へ行くか迷って結局行って、終電まで絵を描いて帰った。

 

パーフェクトブルーを見て気持ち悪さに悶える。演出も巧い、作画も巧いが題材がキモい。しかし最後はハッピーエンド、なんか今敏的には珍しい感じ。脚本ありきの企画だったからだろうなと思う。

大女優を夢見るも来る仕事来る仕事ポルノまがいの端役ばかりで未来を見失いかけているNYの新人女優あたりがなにかの間違いでこの映画を借りて見て、救われたりするんだろうかなどと妄想する。

濱洲英喜さんインタビューで結構歳いってそうで、この頃からベテランなのかと驚く。

この頃って言っても97年なんだよな、と、20年前はセルでアニメが作られていたことに今更ながら驚く。

 

ファンタスティックビーストは面白かった。懐かしい呪文も出てきた。ああいう世界を書きたいと思うが、結局模写はしなかったな。

 

舟を編む、と進撃の巨人も見る。

 

 

家にいる時間が短いから、おそらく2週間(かもっと)付けっ放しのPCはさすがに動作が遅くなってきて、やばいなあと思っているだけで今日も付けっ放しのまま会社へ行くのだろう。

 

朝日が登ってきて、改めてこの社会のクソ性について自動的に頭が回り始める。

 

アニチューブとかまとめサイトとかの不可避的に視界に入る下品なエロ広告をどうにかしろ。そりゃあ男に不信感持って痴漢冤罪も増えるわ。ボケが。

 

マイホーム (笑なんてもの目指して働いてた我々の先行世代のせいで今の社会の寄る辺なさが生まれてんだろが。老後のこととか考えなかったのか?生活なんてそう簡単に変えられんぞ。死ね。

 

こんなに文明が発達したのになぜ人々の労働時間は増えてんだ?何で俺はこんなに働かされるんだよ。仕事がなくなる漠然とした不安が原因ならもっとしっかり考えろ。何かやり方があるはずだろ。

感性を殺されるくらい忙殺されるのなら金も稼げなくなって死んだほうがいくらかましだ。

 

社長はバカ(いい意味での。つまり後先の細かい計算を度外視して行動できる稀有な人種)しかなれないことがわかったし、動画枚数なんてくだらない評価基準は絶対でないこともわかったし。付き合う人の数や種類を増やしていけば、隣の人からの評価に惑わされずに住むこともわかった。

 

 

俺の住んでいた世界はもう少し先へと広がっているんだ。

 

 

 

 

はてなブログを書かないと

と思い1週間が過ぎる。木曜日は徹夜して作業を終わらせて、明日はさっさと帰って惰眠を貪ろうと思ったがそうはいかず、金曜日も夜中11時くらいまで付き合わされる羽目に。

次の日の土曜日、15時くらいに出社したが、昨日からずれこんだ6時間のせいで作業が終わらずまた終電を逃し、朝になってから帰る。

そこから寝て、日曜日、起きたと思ったら17時。

 

はてなブログはいつ書けるんだ?今週は様々なことがあったのに。

最近読んだ本とか

ベイビー・グッドモーニングを読んだ。

the.河野裕!て感じ。どうでも良い話がほんと上手くて一つの才能だと思った。

世界で一番優しい言葉について、とか。

雲の形について、とか。そんな感じの。

 

絶望系、ずっと積んであったのを引っ張り出して読んだ。決着つけないとと思って。

決着がついただけだった。涼宮ハルヒを生み出した谷川流はどこ行った?

 

ルーの歌、面白かった。サメのオヤジを生み出しただけであの映画の価値はある。話は散らかってまとまりがない。善意に満ちすぎ?

 

明日からもまた、異なる価値観の対立に備えてテンションを保ち続けなければならない。いい加減にムカつく。

 今日はここ最近で一番心が落ち着いていた。ここ一年でも一番?

だから絵も捗った。そもそも創作とはこういうものなのかもしれない。

なんだか別の関係ないところで足踏みをしているような気がする。トップスタジオになるためには、スタッフの情熱、知識、志もとても高いものが要求される。

 

そんなところで、たくさんの矛盾を抱えている気がする。

 

思考

きちんとした生活態度を送ればきちんとした思考ができる。ここ最近、考えるための空白の時間が足りないと思っていたのは、欲望に爛れた生活を送っていたからだろう。予定が潰れた土曜の夜に、徹夜明けでろくに寝てないくせして終電をまたいで続けて2本も映画を観に行ったり、平日に新宿のとらのあなまで出向いてfate extra matelialを買ったり…

それは、なかなか楽しくて、それなりに充実していたのだが。

 

責任が伴い、体の変化が著しい。

僕はそうしたいからそうしているだけだ。自分の欲望に素直に従っているだけだ。

先行世代への憎しみに似た感情が消えない。近くにいる誰の言うことも、少しだけ間違ってるような気がする。もっと上手いやり方があるような気がする。

個人に依存しているようじゃダメなのだと思う。半分半分。個人依存がなければ成立しない仕組みではあるけれど、そのトップの人が他者への共感を捨て去ることが問題なのだ。

ある人がそのことを、欠陥という言葉で表していた。しかしだ、当時はそうしなければならなかったことはわかるが、今の自分がそうしなければならない道理はない。

 誰かが面倒を見なければならないのだ。しかし個人依存だから誰もが放っておく。そのくせ一人前に人が育たないと不満は言う。

さあどうなるだろうな、芽は出ないかもしれない。育てるってことはそもそもそういう保証がない。

みんな残ってくれれば良いというのは嘘。俺が今できるのは物入れを絶やさず管理するってことだけだ。あとは自由にやってくれれば良い。

 

やっぱりアニメが好きで好きで入ってる人とか、良い作画が描きたいという欲望に忠実な人とかでないと、どこかしら距離を置いたり、見下げたりするような感情が自分の中にあるように感じる。

それは今日自分がA1のエロマンガ先生を見てこんなことしてる場合じゃねぇって思ったせいかもしれないし、

昨日言われたことが原因かもしれないし…

 

 

アア駄目だ、喋りすぎると、うっかり余計なことまで喋ってしまう。

この声が近くの聞こえてはいけない人に、聞こえてるんじゃないかしら。

 

それが怖くてならないんだ、けれど、

怖がってるだけでもいけないな。

 

 

 

 

なぜ僕らは本音で話せないのか問題。

女性はその辺強いよね、なんでだろう?

これが今僕らを生きづらくさせている問題の気がしてならないから、今日はこういうことを考えつつ絵を描いたり散歩して過ごすことにしよう。

 

 

 

○○さんにメール送らなあかんこと考えると憂鬱でならない。

他人と交わると絶対またうまくいかないことばかり起こるに決まっている。

 

 

「折れない心」を持っていると今の時代さんざ話の通じないキチがい扱いされてポリコレ消費された後すぐに忘れられて捨てられるに決まってる。

こんな社会狂ってるしホントに早く死ねば良いと思うよ。俺が。