仕事詰め込んで、ドロドロになるまで絵を描いたあと、

今度は「適切な」時間をかけて原画を描くとどうなるかを試した。

俺には前の会社でつけられた「イルミの針」が刺さっているので、その声に早く出せ早く上がりを出せと焦らされる。 早く出せ、拘束金額からして一日これくらい出してもらわないと。みなさんこれくらいでやってもろてるんで。

 

それはある意味では正しいし、俺もそういうコスパ良いアニメーターを目指していて、なりたい理想の方向性としてある。力の入った、そのシーンで話数全部が持ち上がるようなよく動くシーンを描くのも楽しい、かつ通常の作監上がり、原画上がりもポンポン出せる。スケジュールに甘えない。そういうアニメーターになりたいというのはある。

 

だが、焦るというのは違う。焦らされて数が上がったところで、それは本来の自分の実力ではないからだ。それなりに時間をかけて、自分の中での感覚と、出力された原画がうまくかみ合ってる感覚、この感覚がないと成長できない。

ただの制作のエクセル上の数字だけの、かりそめの達成感からの逃避

そんなことができるタイトルに運よく当たり、

時間をかけすぎず、かけなさすぎずという、とても良い、とても適切な時間をかけて仕事をすることができた。

 

その間に半年前に出した仕事が放送に乗って流れてくる。かなり大変だったけどまあ、よく動いている。まあまあまあ。

 

最近はそういう体験の繰り返しで、ようやく、ようやく、描いた原画の感覚と、放送されてるのを見たときの感覚が一致するようになってきた。リハビリ完了?いや~長かった... ただ1:1になっただけだが。別に画面になったときに底上げされて見えるわけじゃなく、ただただ書いたとおりに、映像になる。1年ちょっと前はできなかった。完全に感覚を喪失していた。前の会社のヤバに感覚を吸い取られてしまっていた。

 

描いたとおりに、映像になる。こんな当たり前のことに1年ちょっと......kusomukatsukuze.

まぁいいけど。

もうね

限界まで仕事いれてドロドロになるまで原画描きたいとか2年前くらいに言っていたが、そうなりつつある今、個人のカットレベルの達成感とか、自分の満足できる動きが描けなくて腐っていた感情とかが総じてどうでも良くなりつつある。それよりも目の前の仕事を(毎回120%で)「出し切る」ことが大事で、個人的な小さい感情より優先すべきもの、優先順位が変わってくる。

●●●

すげーなー

衝撃やな~

●●●●上りが戻ってきて見てそう思う。

そっか~もっと自由に書いてよかったんだ~、自分の絵柄でのびのび●●書ける人は羨ましいなぁ~

 

そう思って今まさに書いている●●●●の絵にその描き方を生かそうとする。

 

画力、というか、

多分それだけじゃない、立ち位置も重要なんだと思う。

「この話数」を作るうえで、自分の描ける範囲のものがどの部分で貢献できるか

それを自分で理解して、自分でそのポジションにつく力。

来た仕事をハイハイなんでも受けてるだけじゃ、思った通りのものは書けないという逆説。ちょっとの工夫で、後ほんのちょっと何か工夫するだけで、出来そうな気がするんだよなぁ~と思う。

それ、言わなくてもいいよね?

 

...ってことなぜ言う人がいる?マウンティング取りは楽しいか?お前のこと誰が好きなん?

 

なあ、なあなあ、それを言うことでお前の話数に命かけれるようになると思うんか?

気合入って一から頑張れるようになると思うんか?

逆に?そういう価値観の世代で育った人か?

 

それを言われた次の日にその人に会って、「いやぁ~言ってくれたおかげで目が覚めましたよ!●●の言葉響きました、ありがとうございます!」とでも言わなきゃいけんのか?そういわれることを望んでるような、慣れた口ぶりだったよな?

 

そういったら味を占めて、「あ、なんか言い過ぎたかと思ったけど、若手にはこれくらいハッパかけなきゃだめだなぁ~。それが経験者の責任!」とでも成功体験を得るのか?そうやって学ばないままいつまでもいつまでも同じようなことを繰り返すんかお前は?

あのね、関係性なんですわ全て。あなたとの関係性。関係性もないような初対面の人に言われた言葉、何も響きませんが?そもそもお前誰やねんですわ。

 

そうやって言ってくる人が今度また会う約束を取り付けてくる。これ行ったったらどうなるんだろうなと逆に思う。逆におもろそうだな?どんな顔して会うつもりだあの人?

 

逆に面白そうだよな?もう一度会って話をするのって?

 

 

 

てか以前の日記からだいぶ性格変わったな~と思う。やはり飼われていたんだなぁと思う。

おい、俺は戦うのは嫌いだよ。人生における戦いをいつも詭弁と(そもそもあなたの勝負に参加していませんよ)という表明で結構な有効打を与えて勝利でなく解決してきた人間だよ。

でも最近は会社じゃできないいろいろな経験をして、勝負を仕掛けてくる人はゲーム感覚で戦ってることに気づいたよ。軽ーいタッチで、勝っても負けても、それそのもので自分の立場が危うくなるような勝負なんてものは、ほとんどしないことを知ったよ。

 

この事ももし、ある種の戦いだとみなして考えると、

 

何とか食らいついて「勝つ」というやりかたは絶対にしたくない。

そうじゃなくて、もっと上手くやる方法がありそうなんだ。そんな気がしてるんだ。

もっと勝ち負けの間の、真ん中の何かがあるはずなんだよ。

 

もしあいつがマウント取り勝負を仕掛けてきているんだとしたら、

そこで何とかいろんな方法でマウント取り返して、あいつの勝負に勝ってしまったら、相手と同じ事をしてることになる。そういう運動部的な価値観はあるし、そういう強い男になりなさいという風潮も確かに「ある」けど、俺、それ絶対間違ってると思うんよ。

 

だから絶対にそれとは違う、勝ち負けの外側にある方法であいつに「勝ち」たい。

それが俺にとっての戦いです。

 

 

会社会社って、もうすぐ辞めてから1年くらいだぞ、いつまでもひきずってるんじゃねぇぞ。どんなけ影響与えてんだよ。やめて得たものもけっこう、めちゃくちゃ沢山あっただろ去年!

 

 

 

 

 

 

 

 

な、なんでこんな画面になるわけ?

おかしいだろ、こんな●●書いてねぇよ。何で●●なのにこんな●●●画面になってんだよ。ふざけるのもいい加減にしろよ

と何度思ったことがあることか。そのせいで怯えてのびのび●●が書けない。

か、書くのはいいけどこれちゃんと報われんの?またダル~い画面になったりせんか?

 

原因はいくつかあるよ。まずは●●。ここが悪いとめちゃくちゃ遅い●●●●になったり

妙な●で浮いて見えるなんてことがあったりする。恥ずかしい!そんな画面を見るたびに、え、これ俺のせい?と迷ってしまう。が、しかしそんな絵と動きは書いていないのだ。

いや、ていうか疑心暗鬼になる。本当に俺はこんなクソ画面になる絵と動きを書いてたんじゃないんか??そうなると全く自分の感覚や勘を信じられなくなって、新規の仕事中に危うくなる。

 

いや書いてないんだよ。数少ない、上手くいった仕事のプロセスが根拠にある。あれは普通に上手くいった、●● ●● ●● ●●がそれぞれちゃんと仕事をして、良い画面になっていた。が、でもでも、それって普通だと思うけど? ●● ●● ●● ●●がそれぞれちゃんと仕事をするのは普通のことだと思うけれども?

 

とすると時間無い中上げた●●を雑な後工程で仕上げた結果がクソ画面ということなんだろうか?そこにだるい●●、●●●も相まるとさらに?いかんせん大人数での作業なので、そういうコントロール不可的要素も入ってくるのだ。

 

けれどもある人に言わせると、俺の●●は、コンテの要求に合わせる傾向が強いから、●●がダメだと途端によくなくなるらしいぞ。何だそれは。

もっと破天荒に、自分のエゴを押し付けた方がいいってか?でも本当にそうしたら今度は叩くよな?本当勝手な野次ばっか飛ばしてくるよなお前らって

 

その横で。。。で輝く●●●●●●●●●●たちは、おそらく自分の思った通りの画面を実現できている。画力と動きをもう少し足して、その不確定要素をねじ伏せないといっけないってか?全部自分でコントロールしろってか?

てかそこまで動きと絵に強度がないってことか?この業界快楽原則で動いてるから、抜けるほど良い上がりを糞にする事ってなかなかないもんな?

それとも外側から見えると富士山のように綺麗に見える手塚治虫的な?

 

 

●●●●●●●●の●●が●●●●●●に上がってるのを見たときに、あまりの絵の●さに眩暈でくらくらすることがよくある。なんで?なんでこんな●な絵であんないい画面になるわけ?

ずるいぞお前ら。誰かが●●●●引き受けてんのか?それともそういうシーンは自動的に●●● ●●ががんばってスペシャルな画面になるようになってるんか??

ずるいぞ、お前ら。

 本当何でこんな画面になるわけ?俺こんなん書いたか?

書いてないだろ、少なくとも満足いく画面になったこと数えるほどしかない。こんなに働いててなぜなんだ。

俺書いてないってこんな画面、ふざけんなよ、ふざけんな畜生、もっとちゃんとした画面にしてくれよ!俺も毎回2500%で書くからさ、お願いよ。

 

終わり

 

〇〇〇の生活を送り始めて半年くらい経ちました。

控えめに言って最高。もう元の生活に戻りたくない。(というか、これが、「元」の生活である。)

と強がっては見るが、それは未だにあの時起こったことをふっつーに思い出すせいだ。

徒歩でスーパーへ行く道すがら、〇〇〇〇〇ー〇の待ち時間、コンビニのレジ待ちの時、寝に落ちる前のはっきりとした意識の中で、ふとした時に呪いのように思い出す。もう何百回も繰り返し、いろんな角度から思い出している。

 

客観的に見て、(かなり努力して、自分のことを客観的に見たつもり)今の生活は順調に上へ向かって進んでいる。この生活を前に推し進めることだけを考え、日々がんばっているだけで、「〇めてからの方が順調に仕事も生活もできてますよ~」っていう行動だけで示すサイレント復讐になると思っている。だから邪魔なのだ、思い出すことが。客観的に見て、全く意味ないことだと分かっているし。

思い出に感情をもてあそばれて、今やってるカットに集中できなくなることが、もう本当の全くの無駄足だとわかっている。思い出さなくなる努力をしなきゃなあ。もっと最近起こった楽しいこと、嬉しかったこと、ちょっとした達成ばかりを考えて生活する。

 

 

 

 

 

 

はじめての●●

初めての●●●でめっちゃくちゃしゅごい修正が戻ってきた。

うまぁ~ でも、悔しすぎる、それに恥ずかしい!

こんな絵を結構よくかけた~ってドヤって出してたのが●●に知れたと思うだけで本当に恥ずかしいし申し訳ない。この感情、恥ずかしく(たぶん)過剰に感じてしまうこの性格が、一歩前へ出ることを阻害しているような気がしてならない。

絵がうまい人は、というか何に関しても秀でた人は総じてメンタルコントロールがうまいという話をどこかで聞いたことがある。俺はどうだ?

と芋づる式にずるずると悩みが大きくなっていく。

 

嗚呼●●●さん御免なさい、初めてで、それに急遽だったんでいろいろ下手だったけど

やり方をつかめばもっともっと良い絵が描けると思うんです!

てか絶対に描けます!マジで。描けて当然です!

このくらい描けなくてどうするんですか!次はもっともっともっともっと、もっといい絵が描ける筈です!だから次こそは、次のチャンスを下さい!!!

 

もう一度やりたい~次は絶対にいい絵を描くぞ。

マジで絵がうまくなりたいと思った日